SSブログ
天成人後 ブログトップ
- | 次の30件

リニア新幹線と補正予算              [天成人後]


 東京・名古屋間のリニア新幹線計画が発表された。 総工費は 五兆円 だという。 これが巨額だとして、この計画は二の足をふむ状態だったとも言う。 何の事は無い、今回確実に来年(2014年)の四月から引き上げられるという 消費税 の景気へのマイナス効果を相殺するため景気対策として組まれる補正予算と、ほぼ同額だ。 

 消費税率二%分に当たるという 五兆円 を、景気対策として補正予算に充てる方針が政府により示されている。 馬鹿な国民が何万円か懐にしまいこんでいるなら、それを召し上げて政府が配ろうという。 社会保障うんぬん、一千兆の財政赤字の解消などとは縁もゆかりもない、単なるばらまきではないか。 選挙の恩返しか?

 消費税率は一%ずつ上げればいいのではないかという論調に対しての、これが解答なのだという話も耳にする。 確かに二%分を国民の為に使えば、その話はつじつまが合う。 では、なぜ取り立ててからまた配るのか。 使う権限が、市井の民から政府に移るという以外、そこに理由がない。 馬鹿な国民が懐に貯めているならそれを集めて、優秀な人間がその使い道を決定しようという、あくまで国民を馬鹿にした政策としか映らない。

 十何兆と言う補正予算も最近ちょくちょくあった。 補正は正規の予算に比べ査定が甘く、古賀氏いわく二流三流の予算の側からして見れば絶好のチャンスであるという。 景気景気、景気対策という題目のもとで、どれだけの血税が浪費されたか。 兆という単位の前では、一億は一円になる。 頭で分かってはいても、実感が無い。 そこをいいように牧民された我々は、もっともらしい理由で黙らされ、好き勝手に公金を使われて来た。 


追記:
先述した竹村健一氏により八十年代に放送されていた 「世相を斬る」 で聞いた氏の話しで。 「みなさん一兆なんていう金額がどんなもんか、百万や一千万なら実感が湧くでしょうけど、億を超えて一兆になると分からんでしょう。 九州にくまなく新幹線を造って、だいたい一兆なんですよ。」 こう聞いた記憶がある。 当時の(昭和末期)建設費として示された金額だったが、理解の助けになった。 ちなみにあの 東京スカイツリー の建設総工費は 650億円 である。


公の猫              [天成人後]


 猫の耳の後ろあたりを掻いてやると、可愛らしいことに猫は自分でそれをする時のように後ろ足で空をかく。  気持ちがいい。  東電は、当たり前だとソファーに寝そべるふてぶてしい血統書付の猫のように、脇も顔の周りもけつの穴も、人に丁寧にやらせる。 

 猫に 刺身 をやり出すと、刺身しか喰わなくなる。  人の責任だ。  ドラキュラ は人の 生き血 しか口にしないと言い、霞が関 は我らの 血税 しか口にしないという。  生きる糧の由来、誰に飼われているのか分からなくなる。  トロじゃなければ残して腐らせる、これが今の日本の状態ではないか。

 公 という名のつくものすべては、ソファーに寝そべり トロ 以外は一瞥で済ます猫になり下がる。  ネズミをよく獲り米の番をし、適度の距離をもって人に飼われる。 こうするかどうかは、ひとえに飼う人による。  民主主義というならば、主人は国民である。 


追記:
この猫を犬に代えてもいいが、こんな状態には座敷犬でもしばらくかかるのではと思う。 猫についての偏見ならば許してほしい。 猫はそれだけ人っぽい、という事かと思う。 猫も犬も大好きだ。 




早死にする、うるわしき日本人              [天成人後]


 ロウソクに火をつけ線香をたき、横浜市緑区の方向に向けて手を合わせる。 遺影よろしくニュース画像の村田奈津江さんの生前の姿をポーズにして、涙が止まらなくなる。 

 彼女が助けた七十四歳の男性はこの時踏切で、一体何をしていたのか。 一部の報道では男性は踏切から少し入り込み、まるで自殺を企図するように線路上に寝ていたとも伝わる。 地上波のTVに限って言えば、この命を助けられた男性についてはほとんど全く伝わって来ない。

 数年前、東武東上線のときわ台駅踏切で女性を助け死亡した警察官が居た。 警察、消防、自衛隊といった、命を張って職務に当たる公務員もいるのだと、見直した。  そして今度の村田さんは市井の民で、しかも女性である。 ときわ台の女性にしろ今回の七十四歳の男性にしろ、本人のコメントはおろか、その後の事も一切伝わって来ない。 個人情報を明らかにしろなどと2チャンネルの様な事を言うつもりは毛頭ないが、文書で何らかの感謝の言葉が表現できないのかと、不快に思う。 

 マスコミバリューは高いらしく連日報道され、政府は早々に表彰をしたりの対応をした。 反対するものではないが、国民栄誉賞のように、政権が おいしい と判断したのではないか。  市井の民の事など、実のところ二の次三の次にしか考えていないとしか思えない政府。  オリンピックにしろ、おいしいところには 聡い。

 先の大戦を思う。 戦場ではこの村田奈津江さんのような人物から真っ先に亡くなっていったのではないかという疑念が、消えない。 であるならば、日本の尊い貴重な遺伝子が大量に失われ、また戦後は希にそれが発現すれば出世コースから外れ、社会の外郭に追いやられているのではないかと思う。 


十月十日、体育の日              [天成人後]


 今日は 1964 年、(昭和三十九年)東京オリンピックの開会式が行われた日である。 統計的に晴れの特異日ということで開会式の日に設定され、その後約二週間にわたり世界のトップアスリートによる競技が繰り広げられた。 開会式の抜けるような青空が思い出される。 この日はその後長く、国民的祭日として祝われた。 五月でなければこの時期にという、体育祭のシーズンだ。 だから東京オリンピックの思い出は、爽やかなのだ。 

 今回の2020 年 東京オリンピック招致については、申し上げた通り色々ある。 しかしその話は別にして、七年後に七月の終わりから八月あたまにかけての野外競技はいかがなものかと思う。 ここが、どこでも議論されていないのが不思議だ。 「おもてなし」でフォローできる範囲を超えた猛暑、酷暑が心配になる。 

 近年IOC によって真夏の開催が固定化され、一説によれば、それがアメリカの資本によって成されたという。 アメリカでは八月頭に大きなテレビを巻き込むイヴェントが無く、そこにオリンピックがあればおさまりがいいのだという。 決勝戦の開始時刻を米国ゴールデンタイムに合わせて(現地では、あらぬ時間)、などと言う話は耳にしたことがあるが。 開催期間も露骨に支配するというのなら、地球温暖化についての多大な貢献と合わせて、アメリカという国の中国もかすむような業の深さを感じさせる。 さすが、世界を牛耳るG2 だ。


注:
2020 年 東京オリンピック開催日程は、7 / 24 から 8 / 9 である。


秘密保護法案と西山事件 - intelligence          [天成人後]


 自民党の町村氏や森雅子女史が今回提出される秘密保護法案に言及する時、必ず西山事件を引き合いに出す。 彼らがこれほどまでに言うのだから、西山事件と言うのはどういうものか知っておこうと言うのが。 彼ら、自民党への礼儀だろう。

 西山事件とは、毎日新聞記者であった西山氏が女性官僚から沖縄返還に関する日米の密約があったという情報を手に入れスクープしたという事件で、どこでどう裏を取ったか?。 西山氏と女性官僚が男女の仲であった事が世間の耳目を引き、表向き報道されている事とは異なり日本が沖縄への賠償を全面的に負担するという、米国の為の日本という実態はどっかに行った。 司法でも断ぜられた西山氏の名誉が回復されるのは、このあいだの民主党政権の時だ。  今ある法律でも、司法によって西山氏は罰せられた。 社会的立場を失った彼に対し、まだ足りなかったとでも言いたいのか?  

 米国の国力の礎である 軍事 は、実はintelligence (情報) の優位にあるところに基づくと言う。 いちばん見晴らしのいい塀の上に立って、塀の中の牧徒に向かって言う。 こっちが危ない、今これが来るぞ。 醍醐味は、塀の中に守られているのにもかかわらず中の牧徒がぶるぶると震える事で、永遠の支配が可能となる。 

 さて、西山氏は。 どんな怪獣の尻尾を踏んだのか。 精液など残さず踏んでいった者を、徹底的に罰するというのが今回の法案だろうか。 踏んだらどうなるかを、傀儡とはいわないまでも代理として知らしめるのが、今回の法案だろうか。 


食事と美意識              [天成人後]


 長生きしたけりゃ、デブがいい。 このような本があると言う。 最近は「極論本」というジャンルが盛況らしく、その一つであるという。  このタイトルが、俗世そのもので。 金、経済にまつわることから、健康、肉体に関わる事まで。 俗の極みである事が、今の日本。 ひいては人類社会全体の、悩みの際なのだ。

 人は美意識によって動くもので、人の動きがすなわち経済であるから。 美意識は経済と不可分であろうし、そこにメディアの力も大きく働く。 人々が何をかっこいいかと思うかで、世の中は動いていく。 

 よく言われるように、高松塚の壁画や平安美人、古代ギリシャ彫刻の裸婦像や中世の裸婦画はおしなべて太めである。  人の食べると言う事が時代によってどうだったのか、今は有り余る食事をセーブすることが評価される。 

 それも美意識によって。 ホルモンと連動した、やむにやまれぬ集団行動だから。 俗と言えば俗、神の手と言えば神の手。  痩せすぎも美しくないが、太るのも美しくない。 



ケネディー暗殺 - 日本初の衛星中継          [天成人後]


 真珠湾攻撃の日付が日米で一日違う頃の、近代のどうしようもない黎明期を逞しくも生き延びた人類は。 ようやく人工的な「天体」を地球軌道上に打ち上げるまでに至り、それによって現地時間が何時かが併報されるようになった。 

 同質の天体としては、月がどれだけ人類の営みに関わったかを見れば分かる通り。 一番近い 月 という天体は、それ故、特別と思う。 異質の星、恒星としては太陽が一番近い。 この太陽が恵みの総てで、核融合と言う核分裂の時代を超越する物理の総てがある。 

 さて、その人工衛星技術は旧ナチスの V2 であり。 弾頭として載せられるだけ洗練された核兵器の開発により、キューブリック描くところの 「博士の異常な愛情」 となる。 人工衛星とは、どこまでも届く砲弾を打ち上げたようなものだ。 キューバ危機があった。 

 さすが情報の国で、衛星生放送が試みられた。 その日米衛星生中継で初めて報じられたニュースは、衝撃的だった。  ケネディー暗殺 の、まだ鮮血な脳みそが飛び散るような知らせだ。 何が、ケネディーを殺し。 どんな利益を得たのか。

 国の長が暗殺されると言うようなことは、低進国という事だ。真の近代においては考えられない。 せいぜい百数十年の間にこれが何度か起こっている国が最先端と言うこの現状が、人類のジレンマだ。 人と人の間の最終兵器は拳銃で、国と国との最終兵器は 大陸間弾道弾だろう。 1969 年、ベトナム戦争の節目。 これをもっても勝てない戦争が、以来始まっている。 戦争が何を解決したのか。 


尚:
暗殺時間は日本では二十三日の未明となり、John Lennon 暗殺も日本では十二月九日の朝で、それぞれの日付と実際が妙な事に食い違ってきている。 真珠湾攻撃は、アメリカが十二月の七日(December 7th)、日本では八日だった。 


アベノミクス、九十六条改定議論、特定秘密保護法。          [天成人後]


 安倍政権がスタートダッシュで目論んだものが皆さんの評価の高い「アベノミクス」、そして 憲法改正 に向けての動きだったように記憶する。  九条を変えたいのだがそこには世論の抵抗があると言う事で、国会議員の三分の二が賛成しないと始められないと言うところを二分の一で始められるようにしようという、憲法第九十六条の改定だった。 負けそうになればルールを変える、事によっては審判も味方につける。

 違憲で選挙無効の最高裁判決が出れば、これまで通った法律が全て白紙に戻ると言う。  税によって禄をはむものとしては、立法、司法、行政と分かれていようが全て同じ者たちによる判断なのだが、組織票なるようなものが決める選挙は、税で生きる者たちの劇的な変化を許容しない。  民主主義ではなく組織隷属民主主義、ではないか。 

 国や国際的大企業が現代の覇権で、経済が覇権を握ったと言う事だろう。 国と言う Organization 格 を経済的に成り立たせているのは、税だ。  国を言う場合、税の集め方と使い方で、経済が覇権を獲った時代の判断が成り立つ。  さて、日本はどうか。 

 最高裁が違憲状態と判断する政権が、蛇が自分の尻尾をくわえるように、憲法改正を言う。 憲法は誰のためのものか。  徒党を組んだ状態ではない国民一人一人のものでは、ないのか。  なぜ、正々堂々と 集団的自衛権 とやらを訴えない。  挙句、憲法にあっているかを判断する内閣法制局の長を変える。  憲法解釈というやつで、解釈改憲が成り立つ。  この執拗さと、えげつなさは何だろう。  不利と見れば、動きは素早い。

 憲法まで改憲と言っていいような解釈で曲げる人々が、どうしてその下に位置する 秘密保護法 あたりを都合のいいように解釈し運用しないと言い切れるのだろうか。


猪瀬 東京都知事、 辞任。              [天成人後]


 秘密保護法が可決される寸前の絶妙のタイミングで出てきた 徳洲会五千万円猪瀬都知事へ の問題。  今日、猪瀬都知事は辞任を発表した。 さもありなん。  しかし、このような金が渡っていたのは猪瀬氏に対してだけなのか?  昨日、「百条委員会が設置されれば終わりだ」と述べ辞任を促したと言う 石原慎太郎 前都知事。 かつては徳田虎雄氏との蜜月ぶりを隠そうともせず、猪瀬氏を後継指名し、「徳田さんのところへ行け」と促した張本人だ。 昨日 安倍総理と会談した彼は、徳洲会から資金的な支援を受けていないのか? 亀井静香氏の話しも伝え聞くが、果たしてそれだけか?

 日本医師会の岩盤に対して切り込んでいったのが、徳洲会だと聞く。 では日本医師会側は、似たようなことを行っていないのか? 選挙に金が掛かるとして、当たり前のようにこのような事が行われている。 これは邪推だろうか。 

 猪瀬氏の弁護を行うつもりなど毛頭ないが、地検特捜が一年も前から事実をつかみ、このタイミングで問題化するのはどうも釈然としない。 なにか大きな力が働いたのではないか、そんな気がしてならない。


追記:
2020 東京オリンピック招致で時の人となったのが、猪瀬氏だった。 石原前都知事からの悲願で、開催決定の時は はしゃぎ過ぎが気になった。 おもてなし の滝川クリステル女史が脚光を浴びたが、最後の最後で 「アンダーコントロール」と欧米人よろしく両手を広げ、おいしいところを持って行ったのが 安倍総理だ。  名誉ある招致の功労者としては、猪瀬氏の名が今後 人の口にのぼることは無いだろう。

追記: 2014.2.18
2020 東京オリンピック実行のトップについて、森元という名の総理と猪瀬氏との間で確執があったやに聞く。
猪瀬辞任後すぐに森元氏はその座に就き、小泉-細川の動きにはカメラの前で「卑怯」とののしり、いらだって見せた。 



和食と女性の社会進出              [天成人後]


 常々、疑問に思っている事がある。 政府をあげて女性の社会進出が叫ばれ、それがまるで絶対の正義のように言われているが、 果たしてそうなのか。  男と同じように社会に出て働き、丁々発止(ちょうちょうはっし)やりあうキャリアウーマン人生を求めている女性が、本当にそんなに多いのか。 

 昨年暮れに和食が文化遺産登録され、「だし」 の文化がよく話題にのぼる。  鰹節を削り器で削り、昆布を浸して黄金色のだし汁を取るシーンがよくテレビで映し出され、対して家庭料理の貧困さが嘆かわしい事として紹介される。  しかし、子供が生まれても乳離れすればすぐに預け仕事に通う母親に、そこまで求めるのか。  和食、日本食を見直そうと言い、家庭の味が大切と言うその同じ口で、女性の社会進出を声高に唱えるのは矛盾している。

 女性が社会に出て働くという機会の平等は担保すべきだが、共働きでなければ生活できないというのが普通の社会は、おかしい。  これは、いまや仕事を牛耳る Organization 格 、会社組織が十分に労働者に利益を分配していない事にも原因があるだろうが、これだけの額がなければ生活できないという人々の感性にこそ大問題があり。 その消費生活を煽るのが、これまた Organization 格 、企業なのである。


追記:
起きて半畳、寝て一畳。 とまでは言わないが、生きていくのに必要な物と言うのは、実は驚くほど少ない。 人との比較をやめる事が出来れば、実感できるだろう。  公けは教育に手厚く、どのような生まれであろうと子供本人次第で最高の教育が受けられるようにするべきだ。   残るは老後の話だが、これは後に譲りたい。


安倍御用放送と成り下がるか、NHK          [天成人後]


 昨年(2013)、天皇陛下 八十歳の誕生日(12月23日)、 陛下のお言葉がマスコミによって伝えられた。 その中にこのような部分があったという。  「戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ、改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています。また、当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います。」  まことにまっとうな お言葉 と感ぜられるが、同日一斉に報じたメディアのうち読売新聞は意図的に端折って要約し NHK に至ってはここを全て削除して報じたと言う。

 NHK経営委員会とは 「NHKの経営にかかわる最高意思決定機関で、毎年度の予算、事業計画、番組編集の基本計画を議決し、NHKの会長を任命する。委員は12人で、衆参両院の同意を得て首相が任命する。」 とあり、昨年10月 その12人のうちの4人が安倍総理お気に入りの人物に置き換わった。 その経営委員会が昨年12月20日に選出したのが、今話題の 籾井勝人 NHK新会長である。 

 大手紙宮内庁記者とされる情報では産経新聞についての言及は無かったが、読売新聞が端折ったのはそのトップの顔を思い浮かべるだけで想像がつく。 問題は件の記者の言うとおり、NHK が一切を削除すると言う偏向を行っていた事だ。 テレビがあれば否応なく徴収される受信料で成り立つ NHK は、他のメディアに比べてもさらにいっそう中立・透明性が求められる。 我々は常に厳しく見続けなければならない。 


特定秘密保護法案と、ワールドカップで解釈改憲          [天成人後]


 頼んでもいないし、そもそも、政権を取った暁にはこれほどまでに他をおいてもするような事と聞いた覚えがない。 安倍内閣の、憲法の解釈変更というやつ。 政権奪取と早々に「憲法改正」とノックをし、それが芳しくないとなると 九十六条、 憲法改正の手続きの改定をもくろむ。 それも上手く行かないのならと、憲法はそのままに、解釈の変更で行こうという。 

 なんの事はない、「九条」ではないか。 矢継ぎ早に、あらゆる手で 「集団的自衛権」 とやらを行使したいという。  正面玄関から憲法を改正ではなく、勝手口でもなんでも入ってしまえば何とかするという。  ずいぶん男っぷりには、自信があるらしい。 

 集団的自衛権というやつはなかなか分かりにくくて、説明を二度聞けば。 権利 ではなく、集団的参戦の 義務 としか感じられなくなってくる。 その集団の強いものに、どうして逆らう。 いざ事が起これば、前世紀、二十世紀の覇者に、また同じ理屈でまだ膝まづくのか。

 サッカーワールドカップは、彼らにとって好機かもしれない。 日本の二戦目あたりにぶつけてくるのは、三国志か何かから学んだのだろうか。  甘利大臣が、原発再稼働の反対に対して「情緒論」と揶揄した。 安倍総理は自らの指示で大きく描きかえさせたという、子を抱く母のイラストの前で。 情緒にうったえる。  安倍内閣の、情緒、とは何か。 かなり都合のいいものに思えてならない。

 ワールドカップ開幕になっても反対を訴える、ブラジルの人たちを見て。 お上のやることには、決まったことならもう逆らえないとききわけのいい日本人との違いを思う。 去年暮れの特定秘密保護法案、国民がざわめき始めたころ、一挙にたたみかけて採決した。 はや、しょうがない事だ。 はやしょうがない事と集団的自衛権もすべく、またもや安倍内閣は異常な熱心さで進んでいる。 


参照:
≪ 甘利大臣の情緒論 ≫
http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2013-09-04


2020年 東京オリンピック、おもてなしの限界          [天成人後]


 今年も猛暑、である。 今日は七月の二十七日、六年後の東京オリンピックでは、開催されて四日目にあたる。 こんな時期に、野外競技を行っていいのだろうか。 ゲリラ豪雨の心配は無いのか。 アンダーコントロールの安倍総理あたりは、空調完備の 新国立競技場 が出来るから大丈夫と言うだろうか。 マラソンは四百メートルトラックの周回で済ますか? サッカーは全試合を新国立で行うか?

 1964年、昭和三十九年の東京オリンピックは十月十日に開幕した。 開会式の抜けるような青空は、秋の爽やかさと共に子供心に強烈な印象を残した。 十月十日は体育の日として国民の休日となり、「スポーツの秋」の代表的な日となった。 晴れの特異日を選んで開幕したオリンピックが、なぜ今回再現できないのか? きけば、今日の夏季オリンピックは開催期間があらかじめ決まっているそうで、開催地の都合では動かせないのだそうだ。 この真夏の開催というのが明文化されているかどうか知らないが、十月に開催したいといったら選考で落とされるらしいから、事実上の前提条件と見ていいだろう。 

 クーベルタン男爵いまいずこ、IOC は今やオリンピックを興業としてしか見ていないようで、その中でも最大のテレビ放映権、その最大の払い手である米国の事情で真夏の開催時期固定がなされているというから呆れる。 いわく、米国では八月、大きなスポーツイヴェントや視聴率の取れるドラマ番組がなく、その時期オリンピックがあればちょうど都合がいいのだという。 さらに彼らは、決勝競技の開始時間まで自国のゴールデンタイムに合わせようとする。 ヨーロッパも似たような事情らしく、いつのまにか、あらぬ時間に決勝が行われかねない盛夏のオリンピックとなっている。

 再び東京でオリンピックが開催されるのは、素直に喜びたいと思う。 しかし、最後の最後にブエノスアイレスにゼロ泊で顔を出し、おいしいところを持っていこうという安倍総理のアンダーコントロール。 カブトガニをカナブンにして乗り切ろうという、超高額な新国立競技場建設に群がる魑魅魍魎など合わせ。 真夏の開催には、不快感を覚える。


五十年後の世界遺産を、いとも簡単に破壊する今の 日本。      [天成人後]


 明治維新以降、富国強兵、殖産興業に突き進んだ日本の幾多の施設の、ユネスコ・ 世界文化遺産登録 を目指しやっきになっている現政権が、五十年後の世界遺産有力候補の旧国立競技場を、いとも簡単に 破壊 してしまった。 安保法制が合憲だという奇妙奇天烈な論理と同様、大変な矛盾を感じている。

 無一文、裸一貫から立ち上がった我が日本は、戦後わずか十九年で東洋の国として初めてのオリンピックを成功させた。 国立競技場は、その象徴的なモニュメントだった。 代々木、駒沢のオリンピック施設。 東海道新幹線。 首都高、モノレールなど合わせ。 今は無き旧国立競技場は、五十年も経てば、立派な 世界文化遺産候補 だったと思う。 それを、現政権は問答無用で 破壊 してしまった。

 そして今、外国人の設計による奇をてらった新国立競技場の建設費で、すったもんだ揺れている。 とんでもなく法外な建設費は、結局 税金。 国民の負担となる。 担当大臣が今日決まったそうだが、いったいこの騒動の責任者は誰なのか。 土建・建設利権の臭いがぷんぷんしていたたまれなくなるこの話の責任者は、いったい誰なのか? 識者に話を聞いても、誰なのかはっきりしない。 では仮に、何事も批判を受けることなく成功裏に物事が終わった時、一番その功労者としてスポットを浴びるのは誰なのか。 手柄は俺のもの、問題は周りのせい。 その者こそが、責任者ではないのか。 

 森元総理と安倍現総理。


責任者、現わる。 森―安倍会談で結着した新国立競技場見直し。      [天成人後]


 いつのまにか建設費が膨大に膨らみ、オリンピックと言うよりはラグビーW杯に間に合わせようと言う新国立競技場の建設計画が、白紙に戻ったと言う。 これについては、素直に喜びたいと思う。 がしかし、余りにもタイミングが良すぎるとも思う。

 ドメスティックバイオレンスの問題が言われる時、なぜそんんな暴力的な男性と離れられなかったのか?と、しばしば不思議に思う。 そんな、男の風上にも置けないような奴らのやり口は、さんざん酷い仕打ちを繰り返しておいて、たまーにやさしい言葉をかけてラブラブの仕草をしてくると言う。 それに、見事にイチコロとなって、女性たちはそのとんでも男との腐れ縁を続けるらしい。

 人は悲しい事に、相対的な感覚しか持ち合わせておらず。 アイスクリームの後に、いくら氷を入れたコーラを飲んでも、ぬるいと感じ、甘さを感じない。 ナチスのゲッペルスあたりなら、こんな事にはひどく聡いだろう。 その手法を理想としてやまないように見える現安倍政権のスタッフが、こんなことについて考えない訳もないだろう。 

 人は絶対的な感覚を持ち得ないが、出来うる限り踏みとどまり、相対的な感覚に惑わされないようにする努めこそが、常にまともな人として求められている事ではないだろうか。

 森元総理は、招致後に 5000万円問題で失脚した猪瀬元東京都知事なきあと、来る二度目の東京オリンピックをトップとして統括していたように見える。 オリンピックの為なのか、ラグビーW杯の為なのか、はたまたゼネコンとその利権に群がる輩の為なのか、良く分からなくなってきたところに。 責任者がわからないと散々言われてきたこの新国立競技場の問題が、安倍現総理と森元総理の会談であっけなく決着したのは。 この問題の責任者がこの二人であったという、何よりもの証左であると思う。

 物事は振り出しに戻ったように思われる、と言うだけの事で。 そもそもが、これまでがとんでもなかったのだ。 自身を育んだ自民党派閥の長であった森元総理を説得し、白紙撤回の言質をとったと言う事は評価できるが、何故これまで好き放題させていたのか釈然としない。 これもまた、良く計算された牧民のツールか。


アメリカでの約束 - 夏までに安保法案を        [天成人後]


 コロンブス以降、当時の覇権国家であるスペインは、現在の中南米と言われる広大な地域に対して、それこそ前時代的な統治を行った。 当時の準覇権国であるポルトガルと共に、イベリア半島国家が前近代的かつ圧倒的な植民地支配を行ったという事実は、現在南北アメリカ大陸でメキシコ以南がスペイン語を公用語とし、ブラジルだけがポルトガル語を話し、その他の言語を話す人々は例外としていいほどの数であると言う現状が雄弁に物語る。

 この南北アメリカ大陸に元々居たのは、エスキモー、インディアン、インディオなどと呼ばれた人たちで、みな我々と同じ黄色人種である。 なかでも中南米にはアステカ、インカと言う高度な文明があった。 そこでスペインは、現地の首長層を利用して間接支配を行ったと言う。 

 日本の安倍現総理は今年(2015)四月二十九日、亡き昭和天皇の誕生日に、アメリカ上下院合同会議で演説を行った。 鴨がネギを背負って演説するのを見て、ステーキもいいけど鴨ネギも美味そうじゃないかと。 アメリカ人が幾度となく立ち上がり拍手をし、早く食わせろと催促する風刺画には笑ってしまったが。 本質を突いていると思う。 この演説を日本のマスコミは、歴史的な出来事であるとして誇らしく大々的に伝えた。 しかし要は、「アメリカの戦争のお手伝いが出来るように私の責任において、その為の法案(安保法案)をこの夏までに通します」というものだ。 これが米国で大歓迎を、受けない訳が無い。 

 そして控えめに、ためらいがちに出ていた疑問が、日本の国会にまだ出してもいない法案の成立を、外国であるアメリカの議会で約束してくるのはどういう事か?というものだった。 なぜこの点が安倍総理帰国直後から国会、マスコミ、世論を問わず日本の大問題として追及されなかったのか、不可解としか言いようがない。 まだ、アベノミクスと言うまやかしに麻痺させられていたのだろうか。

 安倍と言う政権は、インディオの首長がかつてのスペイン本国による間接統治を担っていたような役回りと考えれば、乱暴であるが分かり易い。 自分のしている事が分からなければ、救いようのない間抜けであり。 分かっているのなら、許しがたい国賊である。  


共産党と公明党 : 英断と盲従        [天成人後]


 「赤旗」と「聖教新聞」という日刊の機関紙を持ち、犬猿の仲とも聞く共産党と創価学会だが、両者の選挙における振る舞いはよく似ている。 嵐が来ようと何が有ろうと、必ず選挙に行くのである。 無党派層の対極を行く、 組織固定票だ。 

 ここに目をつけたのが自民党だった。 村山社会党との連立などなど奇策には事欠かない自民党だが、なんと創価学会・公明党と連立政権を組んだのである。 それが今日まで続いている。 これを 「野合」 と言わずして、何と呼ぶべきか? 

 先の安倍政権による安保法案でも、公明党は何のブレーキにもならなかった。 これでもまだ創価学会員は、自民党の為に選挙協力を続けるのだろうか? 平和が聞いてあきれる。

 共産党はこれまで、どんな選挙でも必ずすべての選挙区に候補を立てて来た。 そんな孤高の姿勢は、ある意味 見上げたものだったが、膨大な反自民の死に票となっていた。 しかしそんな共産党が安倍自民の安保強行採決をきっかけに、野党間で調整を行い独自候補の擁立を取り下げるという。 英断だと思う。 

 一緒にしては怒られてしまうだろうが、公明党(創価票)というブースターを付けた自民党に、ようやく野党が対抗できる土俵が整う。 反自民というか反安倍の票が、分散することなく候補者に集まる。 焦った安倍サイドからは野合だのとあらゆるネガティブフレーズが飛んでくるが、長年にわたり野合連立を続ける立場でよく言えたものだと思う。 共産党のこの呼びかけに、民進党をはじめとした野党は誠実に応え、安倍政権の暴走を止めなくてはならない。


テレビを通じた改ざん指令/ 2017年2月17日            [天成人後]


 森友文書改ざん問題では、誰の指示かという事が焦点になっている。局長一人が部下に命じてできるような事とはとても思えない。犯罪の捜査でよく言われるように、そうすることによって誰が得するのかを考えれば自ずと図式が見えてくる。改ざんによって救われたのは、安倍総理だ。

 その改ざんの大胆な手口を知るにつけ、これが初めてではないのではないか?という疑念が生じてくる。よく言われているように、2014年に内閣人事局というものが設置され官僚機構が首相官邸の顔色ばかり見て仕事をするようになった。これまでもデータや文書を書き換えたり捏造したりしろという官邸からの圧力があって、それに応えた者が出世し、拒んだ者が地獄を見るという事があったのではないかと想像してしまう。

 上級の官僚にとっては、何を差し置いても出世が一番の関心事と聞くから、えげつない官邸の意向に逆らえず次第に感覚も麻痺してきたのではないか。そんな空気が霞が関に充満したところに、去年(2017)2月17日総理が「私や妻が関係していれば、総理も議員もやめる」とテレビカメラも入った国会で公に宣言したのだから、財務官僚たちは自分たちが何をすべきと言われたのか瞬時に悟ったのだと思う。

 ずいぶん大胆に大見得を切ったものだと思ったが、今考えれば安倍総理は全国放送のテレビを通じて、最も効果的に指示を伝えていた訳で、唐突に思えたあの発言は非常に計算されたものと思えてくる。



改ざんに支えられた高い内閣支持率          [天成人後]


 財務省が森友文書改ざんを認めた直後の世論調査で、内閣支持率が30%に近い水準まで下がっているという。当然だろう。だいたい今までが異常に高すぎた。去年も近いところまで下がったが、憲法の規定を無視して臨時国会を開かない作戦と北のミサイルなどに助けられ、また小池都知事のアシストもあり選挙に大勝し、またぞろ5割を超すようなおかしな高支持率に戻していた。

 ほんとうに日本人は安倍という総理が好きなんだなぁと、呆れ辟易しながら眺めていたが、やっと、ついに。普通の日本人が安倍という首相の人となり、その政権のおかしさに気付き始めたようだ。まるでマインドコントロールから覚めるように。

 これまで安倍政権を支持する理由として、景気を良くしたアベノミクスということが言われてきた。しかしほとんどみな普通の日本人は「景気の実感がない」と答える。それでもなお安倍総理を支持してきたのは、きっと株価指数や各種の統計的数字が良かったからだろう。政権とその周辺はトリクルダウンなどと言って上の富が下に降りてくような幻想を振りまいたが、もう少しあと少しと言って何年もたつ。それでも善良な普通の日本人は待ち続けた。

 今回の森友文書改ざんは、安倍政権が官僚機構をいかに思うがままに操っているかを垣間見せた例だろう。人事権を手に収め、意に沿うものを重用し、沿わぬものには徹底的に冷や飯を食わせる。今回ほどに大々的ではないにしても、文書やデータの改ざんや隠蔽は常態化していたのではないだろうか。安倍という政権の性質を見るにつけ、そう思う。

 安倍人気を支えていた好景気、これもまたよくよく疑ってかかったほうがいい。




自民党と九条改定              [天成人後]


 NHK教育からのネタで恐縮だが、憲法改定についての興味深い話だったので備忘録がてらまとめておきたい。

 1949年アメリカは日本に対して再軍備を要求してきた。その年に中華人民共和国が建国され、翌年には朝鮮戦争が勃発する。共産主義の隆盛が目に見えてきた頃だった。日本は憲法と経済状態を理由に断った。それから執拗な憲法九条改定要求が、アメリカから繰り返される。憲法施行からたった二年の事だ。

 1953年10月、池田・ロバートソン会談がアメリカで行われ、そこでも九条改憲が米側から提案された。日本国民を小ばかにしたような教育論があったようだ。また、同行した宮沢は米の防衛産業に巻き込まれると危惧したらしいが、実際米側はこれに先立って経団連を手なずけていたらしい。

 朝鮮戦争のような事があったら、米側の軍事オペレーションの駒として日本の軍備を使わせろということで、いま安倍政権が目論む改憲とまったく変わりがない。この頃から今の今まで、アメリカの思惑は一貫している。日本の九条改憲を世界で一番心待ちにしているのはアメリカであって、それを自主憲法の制定だの真の独立だの、あろうことか右の人間ががなりたてるのは間抜けも程々にしてほしい。故西部先生の言葉を借りるまでもなく、日本の保守・右翼は親米という一つだけとってもインチキ極まる。

 1955年に自民党が結党されるが、CIAエージェントだったともいわれる岸信介が大きくかかわったアメリカ肝いりの保守合同だった。この米傀儡のような政党の設立当初からの党是が「憲法改正」であるのは、このような経緯を見るにつけむべなるかなと思う。

 1956年、自民鳩山政権が結党後初めての選挙を前に小選挙区制の導入を目指すが失敗。これは憲法改正に必要な三分の二を得やすいという動機だったが、その後行われた7月の参院選では逆に過半数を割り込んだ。これには戦争はもうごめんだという国民感情があったと言われる。1964年の東京オリンピック前、憲法審査会が事実上改憲派に引導を渡し、それ以来、歴代自民党政権は憲法改正を封印した。

 さて、小選挙区制がすでに与えられ、それによって三分の二を両院で手にしている安倍自民党政権。皮膚感覚として九条改憲に反対する、戦争の実際を知っている人たちがこの世から消えつつある今。祖父の代からの悲願を自分の手でという彼の野望は、このような背景を見るにつけよく理解できる。どんなことがあっても政権を去ってはならないと、使命感を感じているだろう。それが自分のお仲間、そしてアメリカの為であって決して国民の為ではないという事を、こちらもよく理解しなくてはならない。



- | 次の30件 天成人後 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。