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自民党と九条改定              [天成人後]


 NHK教育からのネタで恐縮だが、憲法改定についての興味深い話だったので備忘録がてらまとめておきたい。

 1949年アメリカは日本に対して再軍備を要求してきた。その年に中華人民共和国が建国され、翌年には朝鮮戦争が勃発する。共産主義の隆盛が目に見えてきた頃だった。日本は憲法と経済状態を理由に断った。それから執拗な憲法九条改定要求が、アメリカから繰り返される。憲法施行からたった二年の事だ。

 1953年10月、池田・ロバートソン会談がアメリカで行われ、そこでも九条改憲が米側から提案された。日本国民を小ばかにしたような教育論があったようだ。また、同行した宮沢は米の防衛産業に巻き込まれると危惧したらしいが、実際米側はこれに先立って経団連を手なずけていたらしい。

 朝鮮戦争のような事があったら、米側の軍事オペレーションの駒として日本の軍備を使わせろということで、いま安倍政権が目論む改憲とまったく変わりがない。この頃から今の今まで、アメリカの思惑は一貫している。日本の九条改憲を世界で一番心待ちにしているのはアメリカであって、それを自主憲法の制定だの真の独立だの、あろうことか右の人間ががなりたてるのは間抜けも程々にしてほしい。故西部先生の言葉を借りるまでもなく、日本の保守・右翼は親米という一つだけとってもインチキ極まる。

 1955年に自民党が結党されるが、CIAエージェントだったともいわれる岸信介が大きくかかわったアメリカ肝いりの保守合同だった。この米傀儡のような政党の設立当初からの党是が「憲法改正」であるのは、このような経緯を見るにつけむべなるかなと思う。

 1956年、自民鳩山政権が結党後初めての選挙を前に小選挙区制の導入を目指すが失敗。これは憲法改正に必要な三分の二を得やすいという動機だったが、その後行われた7月の参院選では逆に過半数を割り込んだ。これには戦争はもうごめんだという国民感情があったと言われる。1964年の東京オリンピック前、憲法審査会が事実上改憲派に引導を渡し、それ以来、歴代自民党政権は憲法改正を封印した。

 さて、小選挙区制がすでに与えられ、それによって三分の二を両院で手にしている安倍自民党政権。皮膚感覚として九条改憲に反対する、戦争の実際を知っている人たちがこの世から消えつつある今。祖父の代からの悲願を自分の手でという彼の野望は、このような背景を見るにつけよく理解できる。どんなことがあっても政権を去ってはならないと、使命感を感じているだろう。それが自分のお仲間、そしてアメリカの為であって決して国民の為ではないという事を、こちらもよく理解しなくてはならない。



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