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教育委員会              [天成人後]


 なにか学校関係の問題がもち上がると必ず出てくる 教育委員会。 この制度は戦後間もなくの 1948(昭和23)年 GHQ によって導入されたそうだ。 アメリカ本国にならい 「自分らの町の学校が、自分らの子どもたちに教える内容は、自分らの代表が監視する」 という事で、初めは住民による選挙で公選されていた。 それが知事による任命制に変えられたのが 1956(昭和31)年。 前年暮れに保守合同により出来たばかりの 自民党 がやった初仕事がこれだったとも聞く。

 1940年代後半から50年代にかけて、ソ連を中心とした東側世界が力を付け、日本でも例えばメーデーなどは 今では考えられないほど盛り上がっていたらしい。 共産主義の隆盛だ。 アメリカ本国ではマッカーシズムの嵐が吹き荒れた。 

 日本の教育委員会は公選制から任命制になると同時に、会議を公開する取り決めが失われ、教育予算の編成権を失った。



最高裁判所 裁判官 国民審査              [天成人後]


 衆院選と同時に行われる最高裁判事の国民審査は、国民が唯一 司法に対して直接 意思表示できる機会。OXで答える。 ところが、《 投票用紙に何も記入せず白票で出しても信任と見なされる 》というルールのため、この制度によって罷免された裁判官は歴史上一人もいない。

 みなさんご存知だっただろうか? この判事の国民審査は、棄権のつもりで OXどちらも記入せず白票を投じても、棄権ではなく 「信任票」 としてカウントされている。 だから常に信任票が文句なしに多数。 

 Oを記入したものだけを信任とすべきではないか。 白票は棄権票として判断から除くべきではないか。 現行のルールで棄権する為には、投票用紙をもらうところでその旨を告げ、用紙そのものを受け取らないという方法しかない。これだけが棄権として扱われる。 



明治憲法の亡霊              [天成人後]


 「それぞれの仕事に埋没し、国民一人一人の命が見えなくなって行った将校たち。 その姿勢は海軍あって国家なしと言わざるを得ません。」 NHKの旧日本海軍についての放送における〆のナレーションだ。 
 こうも続ける。 「縦割りのセクショナリズム。 問題を隠蔽する体質。 ムードに流され意見を言えない空気。 責任の曖昧さ。」 そして 「今の社会が抱える問題そのものだ」 と締めくくる。
 
 「海軍」 が 「省庁」 に置き換われば、まさに我々が現在抱える問題そのものだ。 霞ヶ関の問題、省庁あって国家なし。 NHKにどこまでその意識があったか定かではないが、《 官僚機構に終戦を 》 http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2009-03-15 で述べさせてもらった我が意を強くする。

 先の大戦は言ってみれば軍部という官僚機構の暴走だった。 敗戦後 GHQ は官僚機構から軍部を切り落とし、その他はそのまま残した。 軍部以外の官僚組織もそれぞれが最大限戦争に加担したと思われるが、占領統治にあたっては温存し使いこなすのが得策とされたようだ。 

 つまり官僚機構は明治維新によって生まれ、明治憲法の下で軍部を牽引役として力をつけ、その限界を露呈する形で国を滅ぼしかけた。 しかし戦後もそのまま占領側のツールとして存続し、戦後10年目から始まる自民党長期政権の下で、またもや暴走を始め今に至る。 国を内側から滅ぼそうとしている。
 思うに組織格( Organization 格 )としての官僚機構は、いまだに明治憲法で示された国民と行政機構とのあり方から抜け出ていないのではないか。 主権在民という現行憲法の精神を叩き込む、圧倒的な民意を受けた新政権誕生が望まれる。




共通テーマ:ニュース

国民健康保険 料             [天成人後]


 年収 200万 ほどの人に、国民健康保険料が年間 20万、一割程度の負担が求められているという事例を目のあたりにした。 自治体によって多少の違いはあっても、全国そう違いはないのではなかろうか。

 そしてこれは一人世帯の話だが、子供がいたりすればもっと負担は増すという。 これがまともな事だろうか? 涙が出そうになる。
 この負担に準じた割合で、年収一千万の世帯には年間百万円の国民健康保険料が求められているのか? どうやら保険料の最高額が決まっていて、そのような負担は求められていない。 生活に最低限必要な金を考えれば、所得が低い世帯の負担は想像を超える。

 あまり話題にならないが、何年か前に所得税を減税し かわりに住民税を増税した。 大学の入試でもお目にかからないような複雑な国民健康保険料の計算式。 この算出の一番おおもとが 「住民税」 なのである。 だから所得減税にカモフラージュされた住民税上げのあと、ちらちらと国民健康保険料が高くなったと不満を聞いた。 不況のしわ寄せで、弱者の負担が非常に深刻になってきている。
 

 消費税の話しが言われるが、こういった税より大きな公金といった部分を話しに入れれば、日本の特に低所得層のそれへの負担は、いま額面として出ている 5% などというものをはるかに超えていると思う。



 おした              [天成人後]


 
 日本には従来、「お上」 (おかみ)と言う言葉がある。 それに対し 「お下」 (おした)と言う言葉を提唱したい。 決して卑下するものでなく、尊敬と親しみを込めてのねぎらう呼び掛けだ。

 故・日野元彦氏は、ドラムというもののあり方について。 「ドラムはカーペット職人のようなもの、ピシッと敷きつめられて浮いてたり波打ってたりしてはいけない」 とおっしゃった。

 公務員、行政。 これからの日本におけるこれらのあり方は、優れた床はり職人であり、カーペット職人である。 Jazz の世界に例えるならば。 アンソニー・ウイリアムス や フィリー・ジョー・ジョーンズ のような素晴らしい仕事をしてくれるなら、この日本からも、マイルス、ハンコック、のような卓越した国民が続々と出てくるだろう。 という事だ。 




掘り尽くす文明              [天成人後]



 事故の起きたチリの鉱山は、金と銅を手に入れるためのものだと聞く。 中国などの需要増を受けて、さらに条件の悪いところから採掘しているのだと言う。 我々はこの背景にも目を向けなくてはならない。

 金はさすがにそれほどの事はないと思うが、例えば 銅 などは。 人類がこれまで掘り出したもののどれだけが今も利用されているだろう? 《 経済成長 》 http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2008-08-04-1 で述べさせてもらった通り、一度 自然界つまり環境から頂いた金属鉱物などは人類社会の中で永遠に回り続けるのが望ましい。 

 以前にアルミニュウムの専門家、それも製錬事業に関わっていた人物に聞いた。 赤道直下でしか採れないという ボーキサイト を大量の電力を使って製錬し、そのどこかの段階でまた大変なエネルギーを使って日本に運び込んでいるアルミと聞くが、「夢の島」 を掘り返してそこから取り出すのとどちらが採算に合うだろうか? 旧・通産省、外務省、大手商社などとも付き合いのあったその人物は、ややあって 「夢の島 だろううな」 と答えた。 
 巨大な資本主義社会の、効率・採算至上でもない、不気味な一面が見えてくる。

  自然界からあくまでむさぼり尽くすように調達し、一方ではまだ小さな図体であった頃のままに 自分らが必要なくなれば、未だに直近経済の理屈 既得権益者の都合のみで大雑把なところだけ再利用し、あとは不遜にも自然界に受け止めてもらおうとする。 この我々の文明のありかたを、もう少し考えたほうがいい。 



生活水準を下げたくない              [天成人後]


 やや時の人といった感もある、サンデル教授の番組を見た。 途中からだったが、今回の日本の震災を受けて、緊急に企画されたものに見えた。 ハーバード大学のあるボストン、中国の上海、東京を衛星で結んでの生討論形式で、テーマがタイムリーなので興味深かった。

 なかで、「原子力のリスクを最小限にして依存を続ける」 「生活水準を下げても原子力への依存を減らす」 のどちらに賛成かを問う質問があった。 驚いたのは、ボストンでは全員が前者で、上海、日本でも後者は少数派だった事だ。 要は生活水準の話しと受けた。 それを下げたくないと前者は言うらしい。 経済の問題だ。 我慢は惨めなことだと言うのか。 

 私見では、1970年以降はテクノロジーが与えるものを我々が選ぶ時代になったと考える。 人類とテクノロジーの蜜月期は60年代で幕を閉じた。 新しいもの、手に入れたものを全て最大限にとり込んで最善を得た時代は終わった。 原子力などは、その例の最たるものではないかと思う。 

 今回の事故が無くても、使用済み燃料廃棄物の処理を先送りにしたままで続けられる原子力発電は、自然への礼儀を重んずる考え方からは受け入れ難い。 廃棄物は、ただ閉じ込めて埋めるだけと聞いている。 これがこれからも続く 我々のあるべき文明の姿だろうか。 


参照:
《 我慢 》
http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2010-12-20
 


 牧民              [天成人後]


 長老 評論家の三宅氏によれば、戦前 知事は 「 牧民官 」 と呼ばれ、任命制であったという。 牧民 である。 これが明治憲法の基本的考え方だと思う。 牛や馬のように国民を見なす、あの太平洋戦争をやった 官 の考え方である。 しつこく繰り返すが、旧日本軍というのは海軍省と陸軍省であり、兵隊が公務員で無いわけもないが、あの戦争は国つまり 官 が行った戦争だ。 

 終戦時、これもしつこく繰り返すが、官僚機構はその軍部だけを切り取り存続した。 残したのは、占領軍政府だ。 官僚機構は、終戦をむかえていない。 いまだに大日本帝国憲法のままに、国民を見る。 武力から金の時代になり、経済、金、仕事で優位性を確保するのに、全精力を注いでいる。 恥ずかしい限りだ。

 Organization 格 としての官僚機構は、目に見えない組織そのものだ。 これがいまだに、どうしようもない 牧民思想に染まっている。 これと相対する立場にいるのは、事務次官をトップとするキャリア官僚。 この選び方、つまり出世が人の側にない。 組織のどうしようもない部分をより積極的に認めるのが、官僚の出世に感ぜられる。 立法府は何の役にたってもいない。 組織に人が操られてしまっている。 

 民主主義の原理運動とは、 牧官 である。



ミーハー・マターであるところの、顔。          [天成人後]


 自由と寛容の国、オランダ。 その極右と言う人の顔を見た。 イスラムに対しての過激な発言によって裁判沙汰になったニュースにおいて、だ。 白人の中にも右翼といのは居て、それがなんだか日本人っぽい。 日本の右翼と同じ顔をしている。 そう、これまでも思った事があった。

 顔には、きっと色々なものが出ているのだろう。 男は四十になったら、顔に責任を持てという言葉がある。 色んな顔を見せてくれた John Lennon は、その歳に亡くなった。 

 そして、The Beatles が縁かとも思われる関係の先輩が、早くも逝った。 彼は昔、「ビートルズってさ、随分昔の映像なのに。 あいつらだけ、今なんだよね。 一緒に映ってる当時のやつらは、古めかしいのにさ。」 と言った。 古臭い、つまりかっこ悪い、流行遅れのないルックスを言い当てていたように思う。 そんなルックスをもたらした正体に帰依するとともに、彼らにいち早く熱狂した若者に敬意を表したい。 


参照:
《 世の中を動かす、美意識 》
http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2010-12-07




 偏差値              [天成人後]



 入学試験の難易指標として知られている、偏差値という言葉。 これはかなり大きな人間の知的部分の、その時点の値を表現する指標として有益だと思う。 記憶力にはじまる、人の言ってみれば、分かりやすい知的能力。 これらは優れている事に越したことはない。 大学に行くか行かないかは別として、国民すべての十八歳時の偏差値を知りたいと思う。 

 しかしこれはあくまで人の知的ある部分を評価したまでのこと。 二次元空間、x軸、y軸の世界を思ってほしい。 x値は高いがy値は低い点、また逆の点。 簡単にはどちらがどれだけ優れているかいえない。 これが三次元ではz軸が加わる。 そして我々の生きている現実世界では、もはやそれをある断面で切ってそこで比べるしかない。 超多次元の世界が、我々の生きるこの世なのだと思う。

 この偏差値の怪物が、日本でいえば官僚機構なのであり。 それは古く中国にはっした、科挙の制度なのかと思う。 しかしその中に、民のために働くという確固とした規範がなければ、牧民を司る組織のただの奴隷に成り下がる。



参照:
官僚機構の奴隷、役人
http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2011-04-25-2


原子力発電のコスト              [天成人後]


 いまだに原子力の発電コストがどうのこうの言っているのは、とても不思議な気がしている。 しかもおかみの原子力委員会が、今回のような事故コストを勘案しても 石炭火力や天然ガス火力ほどのものだという。 いったい、どこに?そんな事を言わせられている。 

 ものを燃やして便宜を得る事は、十万年単位の昔から、人類は手に入れている。 化学エネルギー、と言っていいかと思う。 そして産業革命が、化学エネルギーをいわば物理がサポートする形で、二次的な内燃機関をもたらす。 

 しかし物理は二十世紀、アインシュタインの時代になり、核のエネルギーを発見する。 これをほんの三十八年で破滅的なエネルギーを放出する、原爆という形で具現化させたのは、ナチスヒトラーに代表される、二十世紀の人類のおぞましい野望によるのだと思う。 アメリカは、それを人類初めて手に入れて。 その意味、責任の重さをどれほど理解しているのか? 戦争の意味を無くした、核兵器ではなかったのか。 そしてその平和利用が、原子力だという。 

 まったく次元の違う由来を持つエネルギーを発電コストで比べようというのが、乱暴に思われる。 もちろん、今回の福島原発事故の事後処理コストだけを加えても、とてもペイしない発電方法だったといえると思うが。 我々の、自然を敬い、自然との調和を重んじる感覚では。 そこらへんにほっぽっても構わない、いわば土や水になるまで処理して自然に帰すというのが、これからのあるべき文明の姿であり。 そこを目指すなら。 密閉する、閉じ込める、深く埋める。 あげく、気の遠くなる半減期を待たなければならないような現在の核廃棄物の最終処理は、決して許されるものではない。 



読売というメディア          [天成人後]


 清武氏と渡辺氏の泥仕合に関連して、スポーツジャーナリストの玉木氏が面白いことを言っていた。 「 読売というメディアは読売交響楽団を持っているので、音楽ジャーナリズムがそこには無くなる。 同じように、ベースボールジャーナリズムも 読売には無い。」 たしかに今回の騒動も読売新聞は正面から取り上げていないらしく、渡辺会長のロングインタビューはライバルの朝日新聞に掲載されている。

 ジャーナリズムが無いのなら、音楽も野球も大いに扱っている読売新聞紙面に踊る活字は いったい何だろう? PR 、宣伝、プロパガンダ、だろうか? 渡辺恒雄氏の先達である 正力氏が戦後、原子力推進の先頭に立ち、読売新聞が社を挙げて核平和利用キャンペーンを行った事を ふと思い出す。 日本人は、五十年前とどれだけ変わったのだろうか。 いまだ踊らされ続けていないか?

 読売新聞の社説には渡辺会長の意にそぐわない内容が載ることは無い、と公言する。 つまり、事はクラッシク音楽や野球にとどまらない。 肝心の 「 政治 」 を報道するにふさわしいジャーナリズムスピリットを、読売というメディアが有しているかということだ。 はなはだ疑問を感じる。 これが日本一、世界でも一番の発行部数を誇るトップメディアだというのだから、わが国の憂鬱も深い。


参照:
《 敗戦とメディア 》
http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2009-05-08


 東京電力の強気          [天成人後]


 東京電力の会見を見るたびに、そのあまりの強気さ加減に、驚く。 今回は、一般家庭の電気料金を 20% 値上げしたいという。 それは権利だ、とも言う。 
 なぜこんな企業のあり方が許されているのか? 多くの方が感じているだろうが、この電力会社というものの別格扱いが、今回の原発事故を通じて強烈な印象として残る。 この電力会社とは、一体何なのか?

 献金や選挙時の協力などによって、ものが言えなくなっている政治。 優良天下り先として互恵関係にある霞が関。 あらゆる物資を言い値で取引してもらっている経済界。 やはり莫大な広告費を受け取り、でん子ちゃんが忘れられないマスコミ。 電力会社は、これら社会の強者を軒並み骨抜きにしている。 
 無邪気にこの構図の中でオール電化などと踊らされていた我々だったが、今回の震災で多大な犠牲と引き換えにやっと気づくきっかけが天より与えられたのだと思うべきだ。 
 
 日本の電力事業は戦前の時点ですでに寡占状態にあり、終戦後 財閥解体や農地解放と同じ理念で占領側によって見直されたらしいが、どのような経緯か結局 占領統治の終わる前年 1951(昭和26) 年に地域独占、発送電一体の現行体制がかたまる。(沖縄を除く9電力会社)
 
 余談ながら。発明王として知られるエジソンだが、世に先駆けて彼は電力事業に取り組み、これに非常に熱心だったと聞く。 またかの国は戦後日本の原子力発電導入にあたって、読売のトップである正力松太郎氏を使い、大々的なキャンペーンで日本人の核アレルギーを取り払ったという。 電力事業、電力会社というのはなかなか あの超大国とゆかりの深いものだと思わせる。



三十一年ぶり、貿易収支赤字              [天成人後]


 1970 年代、われわれ日本が。 National の TE98 に見られるような、どれだけの高みに達していたか。 申し上げた。 さて、貿易収支が 1980 年以来 31 年ぶりに去年赤字だという。 ふと、明治維新の際。 まず締結された 日米通商条約 を、思う。 通商、つまり貿易だ。 

 油の禁輸が、太平洋戦争の引き金になったとも聞く。 しかけた先は、同じ国。 経済で大きくなろうとすれば貿易、それを阻むのも貿易。 ここにこだわる国ばかり、というよりは世界認識が。 実のところ、中世の大航海時代と変わらないのではないかと思う。 軍事にしたって、金がいる。 それを力ずくで奪うかどうかで、時代が分かれてる。 力ずくでなければ、貿易と金融らしい。     

 その経済で 70 年代、急速に台頭した日本が。 1980 年に、一度赤字になっているという。 80 年代は、ジャパンアズナンバーワンなどとおだてられ。 アイドル、お笑いに沸き。 「ボクって軽いのぉ」と、軽薄短小がもて。 不動産屋と金貸しが肩で風を切って、あげくバブル崩壊で終わった。 また東側の崩壊と、わが昭和が終わった。 

 その後 31 年黒字維持とは、ある意味。 80 年以降日本は、飼い慣らされた経済をおくっているのではないかと思う。 飼い慣らさざるを得ない程の野性を秘めた日本は凄いと思うし、 飼い慣らそうとする、陳腐な知性を忌む。



民意で、おしとどめる / The power of people's claim        [天成人後]


 国民が一丸となれば、国内にかなわぬ相手はいない。 というのが、民主主義だろう。 これに、あらがうやつが居る。 法人、Organization 格 は、ディフェンディング チャンピオンだ。 ワンマン社長や独裁者なら、まだいいかもしれないが。 組織格というやつは、出世で人を牛耳り。 誰でもその座に就くと、同じことを言い出す。 

 国が何かをしようとすれば、必ず公に禄をはむ者たちを使う事になる。 税をもって、公に禄をはむ者たちを抱えている。 その税は必ず、入り口から出口まで彼らの扱うところとなる。 この流れは仕事の流れであり、どのように我々が公に禄をはむ者たちを働かせるかという事だと思う。 霞ヶ関に尽きる。 

 かれら給与や待遇の問題でなく、かれらが扱う税、公金の流れが大問題なのだ。 ここを是正せずして増税するとは、穴の開いたパイプに血税を流し込むようなもので、なんの解決にもならない。 またすぐに人が足りない、予算が足りないと言い出す。 自分の周りに血管まで作るという、がん細胞を思い出す。 宿主の死など気にもとめない がん 。

 スパコンの 「京」 を思い出した。 蓮舫女史が、「なんで一番じゃなきゃだめなんですか?」 としていたが。 「一番になるのに、これだけの予算が必要ですか?」 とするべきだった。 手塚治虫のヒョウタンツギのようにはりついて、行くべきところから吸い取ってないか。 天下り先の各種法人が、ヒョウタンツギに思えてならない。 

 これを統御するのが、国会という議会だというのだから、我々は選挙の時はもちろん普段でも世論という風を吹かせて、議員たちになんとも言えない重苦しいプレッシャーをかけるべきだ。 霞ヶ関を、統御せよと。 増税を言うのなら、まず議員歳費と公務員給与を半額にしてから言ってはいかがか。 そして、これでもかと言うほど法を作るべし。 これ、立法府の務めなり。 現内閣は、話にならず。 



一票の格差と定数削減              [天成人後]


 一票の格差是正は、前から言われていた。 そこに議員定数の削減が加わった。 公務員人件費削減せよとの声に呼応するように、国会議員の定数削減が言われ出した。 初めは議員歳費の削減も言われていた。 しかしある頃から歳費が消え、定数の削減だけが言われ始めた。 不思議な気がしている。 

 一票の格差と定数削減があたかも同じ土俵にのってしまっていて、進まない。 なぜ、当選に必要な票の数をそのままにするのか。 二年限りの、8%に満たない公務員給与の削減。 こんなものと、我々の声で選ばれたはずの国会議員の数を、バーターにはかけられない。 総額としての議員に与えられる国庫金を減らせば、いいではないか。 

 国会議員がもらってるという、年間数千万の国庫金を。 いっさいがっさい合わせて、半額にすればいいではないか。 定数削減に比べ、よほど簡単に出来るのではないか? 
 そして各選挙区の定数調整を、綿密にやればいい。 比例区(全国区)は、多様な意見を取り入れるという意味では。 むしろ定数に対しての歩合を上げてもいいのではないかと思う。 

 議員定数の削減は、公務員の背骨の矯正が成ったと思われてからでも、遅くないのではないか。 一票の格差是正と議員に払われる国庫金の大幅削減、これを立法府の者として粛々と法に定めればいい。 期限を切らない公務員給与の大幅削減が、次に来る。 


参照:
《 議員定数の削減 》
http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2012-01-08


人の尊厳と、胃ろう              [天成人後]


 「胃ろう」 という、延命処置があるらしい。 人と正常なコミュニケーションが出来る状態なら別だが、多くの場合のこれにどれだけの意味があるのか。 疑問だ。 人の尊厳に、抵触していないか。 

 胃ろうの処置は、特別の事情が無い限り。 原則として認められるべきものなのかどうなのか。 心臓が動いていればいいだろう、というものでは無いだろう。 

 西洋医学がこれだけ発達すると、臓器提供の意思のみならず自身の延命と尊厳についても、あらかじめ意思を表明しておく必要のある社会になっているのかと、思う。 



 核ミサイル と 拳銃              [天成人後]


 人格といった場合の 格 。 これはあらゆる組織にあり、組織格、国格などと言い表され。 総称して、Organization 格 と呼んだ。 

 国という格があっという間に雌雄を決する。 核ミサイルは国格による、近代の決闘だ。 人にピストルが必要なように、国には核ミサイルが必要だと。 このようなポスト近代は、決して許すべきでない。 

 核は初めから人を殺す兵器として開発された、まことに出自のよくない道具だと思う。 二十世紀初め頃あった、近代物理のルネッサンス。 まず理論的に予告された力が、それからたった四十年も経たぬうちに 原子爆弾 として利用される。 広島、長崎だ。 

 爆撃機による投下などというのは短い間の話で、1950 年代に入り 大陸間弾道弾 、ICBM による核攻撃が主役となる。 第一宇宙速度(秒速 8km)を超え、地球周回軌道に乗る技術があれば。 地球上のどこにもあっという間に撃ち込める。 これに米ソが突っ走った時代が、アポロにつながる華やかな宇宙開発の時代で。 人工衛星、つまり地球周回軌道に乗る発射物に初めて成功したのはソビエトだった。 この 1950 年代というのも、人類にとって妙な時代だと思う。 共産主義、東側勢力はこの時代もっとも隆盛だったような気がする。 

 人、人格にとっての最終兵器は、ピストルだが。 ここにきて国、国格はその最終兵器、核ミサイルを手にした。 使えないものを、国格が血道をあげて欲しがる。 またそれが報われる。 こんなポスト近代は、決して許されるべきでない。 


参照:
《 勝てない戦争 》
http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2008-08-09-1


670 km までは一人で              [天成人後]


 670 km までなら一人で運転してよろしい、というお上の通達はあったという。 しかし、それに車両の出発地からの距離は含まれていない。 長距離バス運転手には、組合らしい組合は無さそうだ。 

 指針でも何でもいいが、行政としてこうあるべしというものを決めるときに。 なぜ、現場の声が入らないのか。 例えば、長距離バスの運転を数十年も続けられ無事故で引退した人の声を聞いたか。 法とその運用に関わり、それをサポートするのが。 行政であると思う。 

 また、仕事の流れとは金の流れと同一で。 それはあたかも現場に向かって流れるように思われるが、現場が無ければ金の流れはない。 であるにもかかわらず、出世とは現場からどれだけ遠ざかるかの競争に見えてならない。 



日本の議会              [天成人後]


 議会が制定されるのが、1890 年になっての事という。 明治も半ば、の事だ。 それまで色んな混乱があった事が想像される。 憲法も含め、今の日本に通ずる体制がこの明治二十年代に整ったようだ。 我々に馴染みの深い、首相や内閣も。 これを待ち受けるように、既にあった。 

 予算が通らず苦労した、などという話は。 まったく今の国会運営、政権運営につながるようで。 百年以上前から現在の国家意思決定と繋がる制度を持つ、世界でも数少ない国として少し誇らしい気分になる。 東洋にこのような国があるか、では西洋に幾つそのような国があるか。

 この内閣も首相も、二院制の議会も。 戦前戦中を含めて、途切れることなく現在まで続いている。 あの官僚機構の一部である海軍省・陸軍省、軍部官僚が。 議会も内閣もそして首相までも牛耳る、戦時があった。 対米敗戦があり、それでも残った官僚機構。 

 強いものは認めるという、米国の国風があると聞く。 ゲームの理論でいけば、より強いものを平定し。 それを使いこなすのが、もっとも成功する秘訣だろう。 日本の明治以来の官僚機構、日本のエリート達がどれだけ優秀だったかと言う事かと思う。 

 選挙権、被選挙権の問題を除けば、1890 年代から。 日本の議会制は大きく変わってはいない。 首相も内閣も、行政機構を統御すべく存在している。 これが官僚機構を統御出来なかった例としては1945 年の敗戦に至る過程があるが、経済が主戦場になった時代の危機的状況を現在の日本に見るような気がするのは妄想が過ぎるだろうか。 海軍省・陸軍省が財務省に代わっただけで、またもや同じ間違えをしようとしていないか。 




組織を憎んで、人を憎まず              [天成人後]


 人が居るから存在する、あらゆる組織が。 ブラックボックスになって、ひとつの人格になる。 これは企業ロゴや、所有する物財によって存在を伝えてくるが。 本体は、Organization 格 というべき見えない人格だ。 広義の法人格と言っていい。 この人格を御するには法しかないから、法人格なのだと思う。  

 組織の理屈で出世するとは、換言すれば人事が組織に牛耳られているということであり。 これを人の手に取り戻さなければならない。 組織を構成する個人のみならず、社会を構成する人々から見てもおかしくない組織の在り方が、これからの公正な社会の礎と考える。 組織に人が操られてはならない。 公であればなおさらの事だ。

 組織の理屈で出世し、組織の理屈でおかしな事を巧妙にやる。 日本のエリートだ。 彼らは悪くもない、彼らをそこにつける人事が悪いのだ。 彼らは組織の奴隷になり、がん細胞の司令塔を優秀な頭脳で的確にこなす。 不謹慎ながら、オウムにマインドコントロールされた高学歴エリートを思い出す。


参照:
《 官僚機構の奴隷、役人 》
http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2011-04-25-2


平安末期の貴族たち              [天成人後]


 人が企業人、組織人として公に発言する時。 メディアを通じて伝え聞き見る我々から観て、まさに呆気にとられるような、妙な余裕をたたえながらの奇天烈な発言を耳にする。 これを、平安末期の貴族のようだと表現させてもらった。   

 田原総一郎が、朝まで生テレビで。 「戦後の日本人は、損か得かだけでやってきた!」 こう言い切った。 だれもそれに対し一言も無く、紛糾した議論はまるで句読点を打たれたように進行した。 満場、 異議なし。 おいおいと、ひとり言う。 

 田原氏が言う 、「損得」 こそが第一義と日本人はがむしゃらにやってきたのなら。 徒党を組んだ Organization 格が、個人という Organization 格 に対して圧倒的に有利だろう。 日本には、寄らば大樹の陰、長いものにはまかれろなどと言い。 属する Organization 格 に従順であることが、美徳のようにもとらえられてきた。  

 組織の論理とか、企業の理屈と言われて。 CEO、や社長。 大臣はもちろん、事務次官でさえも。 Organization 格 に属する者として、どれだけおかしな感覚を身につけているか自覚できない。 そも、Organization 格 とはネットワークや情報などと今日称される見えないもので、人、自然人、個人、人間に属するものではない。 出世とは、Organization 格 とがっぷり四つに取り組める立場につく、という事なのだが。 多く、組織を持っているつもりが、組織の操り人形を演じているというていたらくだ。 


言ってる事を聞くな、やってる事を見ろ。 ----- 消費増税と自民党  [天成人後]


 与野党を超えて圧倒的多数を誇る、民主、自民、公明の三党が合意して通そうとする 消費増税法案。 将来世代にツケを残さない為に、一刻も早く成立させなければならないとして。 民主党第三代の野田総理が、このような挙に出てまでも政治生命を賭けてやり抜こうとする姿勢に、まんまと乗せられた国民も多いのではないか。 

 野田総理とは、官僚機構、霞ヶ関の操り人形なのであろう。 軽い意識障害を起こされているらしく、見えない官僚機構というばけものの意向を、自分の考えのようにお述べになる。 長いものに巻かれるのが、日本人の誇りといったいどのように結びつくのか。

 自民党は解散時期を理由に、この国をつまりは国民を救うとしていた 消費増税法案 に賛成しかねるという。 「 さすが戦後五十年以上に渡って政権を担っていた、我らが自民党! この国難において、消費増税のような最重要法案にはこれまでのわだかまりを超えて協力する。 」 こんな礼賛をしていた一部の国民、とりわけ大メディアが哀れだ。

 自民党とは、しょせんこんなものなのであり。 官僚機構に全て丸投げし、利害調整や謝り役に徹する現民主政権の本家である。 ここ数日の政治の動きは、消費増税法案がそれほど重要なものではないという、何よりもの証左と感じる。


生放送中の拍子木          [天成人後]


 今世紀に入ってから、つまり西暦二千年代に入ってから。 政治系のテレビ番組を見ることが多くなった。 この手の番組の特徴は、生放送が多い。 テレビの番組表を見て、生放送がどれだけあるか検証してほしい。 今どき珍しい生放送を、政治系の報道番組ではふんだんに見る事が出来る。 

 そんな生放送で、「 おお この人はここまで話すか 」 、、、 といった時に限って、なにか物の倒れるような音がタイミング良く響き渡ることがある。 この頃は、それが 拍子木 を打ち鳴らすような音に変化してきているようにも感じる。 かつては脚立の倒れるような音だった。 これはカンペに勝る何らかの制作側からの制御だろうか。 

 生放送のスタジオ内には、放送に映っている人以外に大勢人が居るはずだ。 その中の誰かが、突っ込んだコメントに動揺して何かにつまづいてと、好意的に解釈していたが。 あまりに頻繁で、加えてそのタイミングが恣意的に思われる。

 本来 放送事故として扱われるべきと思われる生放送中の脚立の倒れるような音、もしくは 拍子木を打ち鳴らすような音 は。 どうして、政治系の報道番組だけで こうも繰り返されるのか。


追記:
この拙項が影響しているわけはなかろうが、なぜかその後 あの耳障りな脚立も拍子木も聞かれない。 やれば出来るではないか。 これからは発言者の目線に注目している。
2013.4.14


日本人は大変だ          [天成人後]


 日本人に生まれて、不幸と思うか、幸運と思うか。 それら含めて、定め ととらえるか。 これは、日本人である あなた次第だ。 

 近代科学テクノロジーによる革命、産業革命を。 宗主国による主導ではなく、東洋、黄色人種として初めて自ら取り入れた 日本。 ここまで国の文化や誇りをぐちゃぐちゃにされる事なく産業革命を成し遂げた東洋の国が、あろうか。 戦争ではなく、自らの手で成し遂げた。 

 明治維新によって国の在り方が変わったが、とどのつまりは三権分立などといっても。 行政なのだと思う。 遺伝子をここまで信じていいのか?という、公家や武士の世襲制度に代わり。 中国の科挙にならう試験登用による、官僚制度が明治維新で定まった。 生まれによらず、誰でもその任に当たる。 よって立つところは、菊の御紋だった。 

 軍事という土俵は、すでにこの世界、地球上からはない。 開国以来、懸命にそれを追い続けたこの国の行政。 すなわち官僚機構は、原子爆弾の登場でこの野心を捨てた。 占領統治を経て、経済、すなわち 金銭 の土俵で横綱を目指す。 

 経済がなければ軍事も軍備もないのだろうから、金が生まれてこのかた。 人類にとって経済、銭金は。 なんだかんだと言っても、最大の関心事であったろう。 しかしそこだけに異常に執着を見せる行政、官僚機構というのは。 国の不幸ではないか。 彼らにとっての経済とは、税収のことである。 狂った官僚機構、霞が関を統御する政権が。 ただただ求められる。 現政権は、話にならず。


社会保障費マネジメントとしての、国民健康保険料          [天成人後]


 国民健康保険料の徴収がうまくいってないと聞く。 ある意味、当然ではないかと思う。 所得減税と相殺して住民税増税が行われたころから顕著になったが。 国民健康保険料は高過ぎる。 またとりわけ単身者、低額所得者に対して、高過ぎると聞く。 その通りではないのかと思う。 

 大きなくくりでの社会保障費になると思うが、薬の問題から始めて。 経済の側面から見て、現在の医療は問題だらけのように思う。 投下したものが最大限、人ひとりひとりの利便として用いられるよう。 常にそこを目指すべきだ。 みなさん大好きなマネジメント、経営。 その点から、国を考えればいい。

 はっきりしている事は、税なり国民健康保険料などの公金の流れを仕切っているのはすべて霞が関 官僚機構であり、これを統御すべきとして国会議員が我々の手によって選ばれ、その国会によって内閣がつくられ、国の経営、マネジメントを任されていると言う事だ。 


参照:
≪ 製薬会社 ≫
http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2012-05-19


甘エビと気候変動          [天成人後]


 甘エビが獲れなくなると、ニュースになる。 高くなれば食べなければいい。 うなぎ しかり。 誰もが いつでも どこでも、好きに食べられる必要が どこにあるのだろう。 小学校で 食育 の時間をもうけ、回転であろうとも寿司屋でウニやイクラ、トロ、甘エビなど。 盆と正月を除いて、そうそう欲しがるものではないと教えるべきだ。 我慢を教えなければ、人のしつけ、教育はない。 

 一方 甘エビの獲れなくなっている原因は、極地の温暖化だという。 温帯が亜熱帯のようになっているのだから、当然だろう。 これこそが、大問題だ。 人工衛星は、何の為に飛んでいる。 数々の周波数の電磁波をつかって、常に徹底的に観察すべきではないか。 特に調べていないのか、知ってて大衆に知らせないのか。 

 温暖化と騒がれていたが、これを気候変動としてあのアメリカが認めたのは、そう古い事ではない。 経済力で見て有力な国では、中国の様な途上国は除いて、一番後からしぶしぶ認めたという印象を持つ。 京都議定書には、現にこの二国が批准していない。 世界で一番と二番の経済大国が、である。 犯人を CO2 に絞っては、経済に案配が悪いと言う事のようだ。  しかし気候変動というのがまぎれもなく現にあるのだから、そこにこれ以上後手を踏まないために、先進国は出来る限りの事をする必要があるのではないか。 みなさんの気にしてやまない 経済 と、密接に関わる話でもある。 

 中国はお話にならないが、アメリカとは話が出来ると信じている。 その原因がもし CO2 でないと言うなら、その仮説にも一目置こう。 宇宙技術をはじめとする最先端の科学テクノロジーを総動員して、真相を知ろうと動いていただけないか。 我が日本はいくらでも協力するし、なんならば イニシアチブを執る用意もある。 



ギロチンエレベーターと霞が関          [天成人後]


 近代機械によるギロチン、乗り降りする時に動けばそうなってしまう エレベーター は、怖い乗り物だ。 製造元やメンテナンスに信頼が置けなければ、乗る気がしない。 その事故が 2006 年 に続き、また起こった。 いずれも シンドラー社製だという。

 歴史的にエレベーター事故がどれだけ起こったのか把握していないが、日本において 2006 年 以前はそうは発生していなかったのではないかと思われる。 十九世紀から実用になった、近代マターである エレベーター。 1931 年に完成したというエンパイアーステートビルにエレベーターが無かったらなどというのは、あり得ない話だろう。   

 扉が開いたまま上昇下降する事故についての安全装置取り付けの義務は 2009 年 からであり、それまで設置されたものは除外されると製造会社はエクスキューズする。 納得してはならない。 そんな法があろうがなかろうが、機械式ギロチンにならない為に、製造会社もメンテナンス会社も細心の注意を払わなければならないのだ。 

 企業という Organization 格 、つまり法人が。 社会的責任を自覚せず、法のギリギリまで攻めるような姿勢を持つなら。 行政・霞が関官僚機構は、それをコントロールする為としてますます規制・権限を持ち。 予算が足りない、人が足りないと言い出す。 経済効率至上主義は、こうして霞が関を太らす。


 原発 もやはり 霞が関 なのだと、 思わないのか。          [天成人後]


 徳川時代を凌駕し四百年も続いた平安時代だが、その初期まだ始まって七十年程に起こった 貞観地震 まで。 千年も遡らないと、匹敵する事例が無いこの前の地震だという。 関東以北は陸奥や出羽、二つほどにしか分かれてない頃だから、公の記録も少ないのだろう。 いずれ、たかが何百年の地震活動を知って、これから起こる事を語るという。 この間抜けさを、日本は知る機会を、有り難くも得た。 

 地震と原発の相性は、すこぶるいい。 人類の培った近代科学を、自然が正しい方向に導く。 あれだけの事故を起こし、いまだに収束の目途さえ立たない 福島原発事故 。 廃棄物の事など考えていない、典型的な動脈型経済である原子力発電の実態を知った。 平安時代、雅楽、神道と来て、自然を敬う という言葉に行き着く。  

 菊の御紋をかかげて日本を牛耳る、霞が関・官僚機構。  あなたは、原発問題もやはり霞が関の問題なのだと、思わないのか。 もはや役人・官僚は、官僚機構という見えないものの部品に過ぎない。 見えない怪物が霞が関に憑りついて、欲望、名誉、権威、安寧といった見えないもので、人をあやつる。 


第三極とは、つまりは第二極。          [天成人後]


 小選挙区制、二大政党制を想定しての制度のもとで。 民・自・公 三党がプロレスをやらかす。 ばけもの も、よく考えたものだ。 霞が関の僕(しもべ)となり下がった者と、そうではない者の対決というのが。 今回の選挙の、お題目ではないのか。 

 お笑い系の芸人から出た言葉だと記憶するが、表彰台。 三位まではどの世界でも別格だという。 しかしこの小選挙区制は、三位をかやの外に置く。 選挙制度が今のままでは、三極などあり得ない。 常にワンイシュー(一つの題目)で、細かな政策や好き嫌いでなく、大きくまとまった方の勝ちとなる。

 今回の十幾つも出た小政党の乱立は、二大政党・小選挙区制に対する、世論によるアンチテーゼと考える。 比例代表を全国区として党のくくりをとき、地方区を中選挙区に戻すのはどうだろうか。 定数是正は最優先として、定数削減などは、先に選挙制度の在り方について結論した後で議論してもいいと思う。

 政府とは行政府の略、ともいう。 三権分立とか言うが、要は公の金をどうするかと言う事で。 国、政府、などと我々が言った場合、そのほとんどは行政府、霞が関・官僚機構の事を言っている。 我々の投票で選ばれた国会議員、それによる立法府は内閣を行政府に送り。 民意を受けてその統御に、これあたるべきなのだが。 民主党は三代目・野田内閣にして、完全にそれを放棄した。 

 ソビエト崩壊前の自民党は、まあしょうがない。 認めるとして。 その後、細川政権に短期間明け渡した後、あろうことか社会党と連立し村山政権として政権に返り咲いてからの自民党はいただけない。 池田勇人、佐藤栄作、宮沢喜一など、高級官僚出身のトップが霞が関と二人三脚で高度成長を果たしたのが黄金期とすれば。 財務省の奴隷と化した野田政権と協調し、野党でありながら三党合意などと言って 消費増税法案を通した現在の自民党は、比べるべくもない。 

  民・自・公 という霞が関の思惑を忖度するこれまでの政治と、 行政を統御するという使命を強く自覚した政治の戦い。  こうなれば、日本の未来は明るい。 


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