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 Daydream Believer              [近藤 武]


 モンキーズの " Daydream Believer " 、このヒット曲を歌っていた Davy Jones が亡くなった。 これもまた 66歳 という若さだ。 
 イギリスのビートルズに対抗して、アメリカが言わば人工的にオーディションで生み出した モンキーズ 、そう聞いている。 ビートルズとの違いは、代表曲の作曲が外部であることだった。 これは、音楽を少しでもやった人間であれば分かると思うが、大きな違いがある。 

 ホリーズ の バス・ストップ に匹敵するような、ポップスの名曲。 ”デイドリーム” (Daydream Believer )。 この作者である、キングストン・トリオ の ジョン・スチュワート。 彼もまた、最近 亡くなっていた。 自身で歌うデイドリームに、涙ぐんでしまう。 カントリーミュージックとは、かくも懐の深いものなのか。 

 チームで作り上げた、この仕事に。 最大級の賞賛を送りたい。 最大級の感謝を込めた、賛辞だ。 "Daydream Believer" を、多感なあの時期に聴くことが出来て、幸せだった。 甘酸っぱい思春期から青春期にかけての思いを、このように見事に表現した曲があろうかと思う。 特筆すべきは、全く英語の分からない者にも伝えるべきものを伝えた事だ。 

 モンキーズのこれを聴いて、また感極まる。 俺たちの大好きな アメリカ が、そこにある。 



 性衝動と文化              [文化の日]


 食衝動は太るだけだろうが、性衝動は相手があるだけにやっかいなものだ。 現代の先進国で普通の暮らしをすることは、昔で言えば 貴族 の生活をしているのではないか。 みな、光源氏さまだ。 その中に、ゲテモノ趣味で珍奇好きな連中が居るという。 民族の持つ文化が、これを御してきたはずだと思う。 


《 大なり小なり、 貴族 。 》
http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2010-07-30


密会は、断固ない


 この 断固ない というフレーズは、戦争中の東条総理がよく使ったという。 陸軍大臣兼任のまま総理になった、東条英機と。 現在の政界中枢にいる財務省右へならえの連中が、ダブる。 野田という総理は、財務相兼任のまま総理をやっているのではないか。 

 霞ヶ関にはもちろん逆らえない、谷垣 自民党。 ここと、野田 民主が組めば。 さながら戦前の大政翼賛会よろしく、陸軍省のかわりに財務省の言うなりの。 霞ヶ関政権が続くだけだ。 橋下、小沢あたりが目障りなのだろう。



 数学              [文化の日]


 数学の起源は、やはりギリシャだろうか。 幾何学からも初まっているようで、興味深い。 代数学はアルジブラとかで、アラビア数字などとも言うし。 メソポタミアではそれより古く、六十進法が使われそれが現在の時間における単位や方位角度の三百六十度のもとにもなった、と聞く。 またゼロの発見は、インドだとも聞く。 こちらから見れば、すべてインドアーリア系などと称される、西洋の話だ。

 東洋にも算数があったが、ここに関してまず西側の優位があった。 外方向性知的好奇心の成果で、この属性として書き記して次の代の者が最高点から始められるものの際たるものだと思う。 近代科学テクノロジーの礎には、数学がある。 



 次世代に伝えていく。              [文化の日]


 人類の発展とは、次世代に伝えていく事で成り立っている。 記することで完全に次世代に伝えられる、数学。 実験や形にする事が求められる、近代科学テクノロジー。 ここに、数学よりもどれ程も古い 職人、匠の技 がそれを支えて、現在があるような気がする。 

 我々はこの中で、先代が生きていて。 のみならず、全盛の技を繰り出すうちに。 それをライブで間近で見る。 そうでなくては伝えられないものをこそ、大事にすべきではないのか。 



再稼動 をさせなければいい              [民主主義の原理運動]


 脱原発 などと振りかぶらなくても、あと二基。 原発の 再稼動 をさせなければいい。 永遠にさせなければいいのだ。 なし崩しで 消費税 を上げようとする向こうのお株を奪って、なし崩しで原発からの離脱という結果を したたかに 手に入れればいい。 原発なしの先進国を、見せてさしあげればいいではないか。 



タイトルマッチ前哨戦              [懲戒免職]


 東京都副知事の猪瀬氏と、見上げた官僚 古賀氏が。 電力会社について語るのを見た。 いいと思う。 我々は、彼らを征官大将軍として認め、電力会社を突破口として。 この日本を牛耳る、得体の知れない ばけもの の退治をはじめればいいように思う。 

 終戦時、日本のあらゆる Organization 格 のなかで最強最大だった 霞ヶ関 は、残された。 その上にある GHQ がなくなれば、その天下で。 最小単位の Organization 格 である国民によって選ばれ、その代表として法をつくり。 法によって国を治めるはずの国会、つまり立法府は。 霞ヶ関に対して、なにもできない。 

 この手ごわさは、気の遠くなるような強さであるらしく。 これと同じにおい、同じ色合いの「強さ」は、東京電力の驚くような強気の会見の後ろにもある。 福知山線事故を起こした JR 西日本にも、ある。 ボクシングで言えば、上位世界ランカーのあたりに東京電力なんかがいて。 不動のチャンピオンが霞ヶ関。 いや、日本国内の。 Organization 格 番付、である。 我々は、マッチメークの困難を乗り越え。 上位ランカーの電力会社を平定し、一挙に世界タイトルマッチを実現すべきだ。 引き分けでは、勝てない。 

 消費税も、福祉も。 経済も外交も防衛も。 その全ての根幹にある問題の話をしている。 聖なるところに ばけもの が巣くっていては、何を政治が目指しても。 まともに成される訳がない。 そのばけもの退治の第一歩に、我々の電力会社との戦いはなるのではないかと、申し上げている。



 個人的な意見など、きいていない。


 NHK の七時のニュースを見ていたら、原発事故発生から数日経ってからしばらくの間。 TV でよく見かけた、モンゴリアン顔の専門家が。 個人的な意見として。 大飯原発再稼動ストレステスト一次評価をよしとするそうだ。 二次評価など無いかのように。 

 そしてやや声を裏返らせながら、「あとは原発を動かすことによって生じるリスクと 動かさないことによって生じるリスクを考え、 総合的判断をされるのが政治です。」 と言う。 まるで、我々は政治力がありますよと原子力村の声を聞くような気がする。 

 個人的な意見など、訊いていない。 少しはまともかと思われた専門家が、こうである。 我々は、公の大学に属する専門家としての、公の意見を聞きたい。 
 我々は原子力村と電力に巣食う、得体の知れない ばけもの を射程にとらえつつある。 政治と言うなら、その政治に。 大飯原発再稼動というのがどのようなものか、分からなければ教えてさし上げる他は無いと、思う。 



野田 許すまじ。 この男が、ビートルズの何を理解しているのか。    [友人への手紙]


  今日もまた、土曜日にもかかわらずなかなか過酷な仕事でした。 フィジカルな部分もさることながら、精神的な負荷の部分は、表しにくいものです。   

 夕方帰宅し留守録してあった報道特集で小沢氏のロングインタビューを見、その後続けて NHK 7時のニュースを見ていましたら。 野田が「 TPP はビートルズ、と考えた場合に日本はポールマッカートニーです。 ポールのいないビートルズはあり得ません。 もちろんアメリカはジョンレノンです。 この二人がきちっとハーモニーしなければいけません。」 と話すのを目にしました。 

 野田、許すまじ。 この男が、ビートルズの一体なにを理解しているのか。

         2012年3月24日 土曜日 午後8:26



商業だけが残った              [近藤 武]


 1965 年から、1975 年までの。 " The Rock Music " のムーブメント。 あの、ベトナム戦争と重なる。 その頂点にあった 1969 年から 1970 年。 ビートルズが解散し、最後のアルバム " Let It Be " を発表した頃だ。 クレッシェンドとデクレッシェンド。 

 先鞭をつけたのは、ビートルズ ( The Beatles ) だった。  イギリスでは 1962 年に始まっていたようだが 1964 年にはエドサリバンショーに 鳴り物入りで出演し、全米 Billboard 。 つまりは世界を、Pop Music で征した。 

 多重録音の芸術というべきところまで行く、アナログ 16 チャンネル マルチ録音。 アナログの LP 盤、アルバムと言う芸術作品。 2 チャンネル、つまりはステレオなら 「同時一発録音」 から彼らは先頭を走り続けた。 このムーブメントは 1975 年、クロスオーバー・フュージョン、ディスコ、ブラコンなどと、スタジオミュージシャンによる A.O.R. 、ヘビメタに分裂する。 

 さて、この頂点にあった 1969 年、たとえば Woodstock Festival の気分でいえば。 原発はどうだろうか、消費税はどうだろうか。 公務員改革はどうだろうか。 防衛はどうだろうか、外交、貿易はどうだろうか。 John Lennon は、1980 年 凶弾に倒れたが。 もし話が聞けるのなら、それらについて訊いてみたい。 

 商業といえば、近代科学テクノロジーに支えられた商業そのものの 商業音楽ビジネスが。 たぐい稀にも、多重録音芸術のピークと時を同じくする。 しかしそれから四十年も経てば芸術も、哲学も消えて。 つまりは商業だけが世界を、覆いつくすのか。  


参照:
《 ベトナム戦争と " The Rock Music " 》
http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2011-11-07


タグ:1969

人の尊厳と、胃ろう              [天成人後]


 「胃ろう」 という、延命処置があるらしい。 人と正常なコミュニケーションが出来る状態なら別だが、多くの場合のこれにどれだけの意味があるのか。 疑問だ。 人の尊厳に、抵触していないか。 

 胃ろうの処置は、特別の事情が無い限り。 原則として認められるべきものなのかどうなのか。 心臓が動いていればいいだろう、というものでは無いだろう。 

 西洋医学がこれだけ発達すると、臓器提供の意思のみならず自身の延命と尊厳についても、あらかじめ意思を表明しておく必要のある社会になっているのかと、思う。 



雅楽              [苔の生すまで]


 日本では、奈良時代までに半島や大陸から伝わった高麗楽、唐楽などと日本古来の音楽が合わさり、雅楽となった。 東大寺大仏の開眼供養儀礼の演目が、現在の宮内庁楽部にもそのままあるというのは、世界最長の王家を持つ日本の幸せに感じる。 



君が代              [近藤 武]


 君が代は、日本の歴史に比べれば 思いのほか新しく。 明治期に入り、西洋のスタンダードに合わせて国歌を持ったということだ。 初代のものは西に迎合した、いまのものとは似ても似つかないものだったように思う。 

 あらゆる国歌のなかで、音楽的に 君が代 は 別格 だ。 雅楽の響きがある。 ドイツ、そしてフランス。 ロシアにイギリス、アメリカ。 国歌に名曲は多くあれど、君が代 は 別格 だ。 

 妙なことに、雅楽の編成で聴いた事が無く。 独唱は、余程の適任者でなくては任せてはいけないと思わせる。  本来、心静かに 聴く べきものではないかと思う。 



高齢者におせっかい              [箱根アフロディーテ]


 今ある資産を全て売り払い、近所に家を建ててもらう。 マンションも用意する。 その中心に、介護 医療の拠点を設ける。 その運営に、少々の負担をしていただく。 人生の最後期を向かえた方々の話をしている。

 エレベーター無しの四階住まいに耐える高齢者を目指し、そこでは老人を鍛える。 出来る事は自分でマネージメントし、足りないところを我々が提供する。 おせっかい ( Meddle ) な世界だ。 Pink Floyd を思い出す。 

 どうしても何も出来なくなった時、介護 医療の拠点に住んでもらう。 いまのホスピスのようなものかと思う。 そこにはおかしな延命治療などは無い。 哲学としての仏教やキリスト教、宗教を伝えるところにもなればいいかと思う。 

 そこに至る 老い の間は、とにかくおせっかいなわけだ。 人を年寄り扱いしやがってと、当の本人が思うくらい。 日本的心配りの中で、それがあればいいと思う。 

 どうだろう、こんな老人施設に誰かのって来ないか。  もともとはすでに江戸時代に在ったものに程近いが、近代科学テクノロジーの爛熟期をむかえて、あえてこんなことを言っている。 



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