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脅威を見る目                     [文化の日]



 店に並んでいるスプレーというスプレーが全て ”フロン” だった時から考えれば、人々の意識という点で 本当にいい時代になった。 しかし話は緒に就く準備が出来たにすぎない。

 産業革命 以降ということになるが、特に自動車が出てきた100年少し前から、人間を取り巻く環境は劇的に変化してきた。 それが遂に、現在の状況にまで至っている。

 道具が機械になり、資本主義が出て、法人が大きくなり。 ヨーロッパから起こった波は工業先進国をつくり出し、その序列は今も続いている。
 たったこれだけの先進国でもう、認めざるを得ないような異常が出て来ている。 先進国はトップを走る者として責任がある。

 「必要なものは全て与えられている」 という言葉を聞いた。 文明が何をやっているのか感知し得る 五感 も、科学テクノロジーは人類に与えている。 だからこそ我々は、訳も分からずこの事態に突入することは無かった。
 機械文明は、人間の体の機能を外側に創り出すとも捉えられる。手足や排泄器官だけでなく、目も耳も存分に創り出していくべきだ。




 幼年期の終わり              [文化の日]



 環境の問題は、マクロに過ぎて途方も無い話に思うかもしれないが、まず一人一人の心の向きがしっかりすることであり、実はこの話はミクロの話、一人一人の心の話なのだ。

 テクノロジーは経済に入り込み、自然界からあらゆる材料を調達・加工し、不遜にもそのまま自然界に引き取ってもらおうとしている。 アーサー・C・クラーク 言うところの ”幼年期” 丸出しである。もういい図体しているのに、だ。

 引き取ってもらうには、自然界 つまり地球環境に負担にならないところまでにして 出すのが礼儀だろう。 どれだけ時間がかかるかわからないが、責任ある文明として目指し続けるべきだ。

 ”環境” の話は昨今 色んな人が色んな事を言う。 人類に与えられた 最も複雑な連立方程式 を解こうと言うのだから、初めの方向性を定めるのにも まだまだ大混乱があるだろう。  
 誰かの言うことを鵜呑みにするのはよくないし、何かに固執するのもよくない。 考えが変わっても恥ずかしがることはない。

一人一人が出来る範囲の事を、すぐやろう。
とりあえず もったいない ことをしないようにすれば、間違いはない。
  
  

 もったいない         [文化の日]



 もったいない この昭和30年代を思い起こさせる、言ってみれば しみったれた言葉が拝金主義大多数の日本でいま評価されている。そこに救いを感じる。 よき日本が無くなってはいない。  外国人にも共感を示す者が居るというのだから、世界も捨てたものではない。

 しかしこの言葉、本来はスローガンのようにして表に出てくる言葉でもないような気がする。 なにかの拍子にふっと 「もったいない」 と口にするが、普段は当たり前の事として心に満ちている。 これが理想ではないだろうか。 世界にその 心 を伝えていきたいと思う。



経済成長         [文化の日]



 経済の事は良く知らないが、もったいない は経済成長を損なうだろう。 工業製品を売る経済は当然、滞ると思う。 であるならば静脈型の経済を発展させて、などとブルドーザー的政治家は言いそうだが、使い捨てても完璧なリサイクルでどんどん物を回せ、 というような未来の世の中は、どうもイメージがぴんと来ない。 もっと深い ”チェンジ” が求められているような気がしてならない。

 もちろん いま直ぐ取り組むべきは、リサイクルを軌道に乗せる事だ。 一度 自然界から頂いてきた例えば鉱物資源などは、人間社会の中でずっと回り続けるのが望ましい。 循環型・静脈型の物の流れ、それが新たな産業になるのも間違いないだろう。

 しかし、いま経済成長を求めるというのは罪深い事に感じられる。事態は差し迫っているのではないか。 経済活動を少し抑えるべきだ。



文明の転換点                [文化の日]


 温暖化、CO2 の問題というだけでなく、いまの文明が環境つまり自然界に対して、知らずにやってしまっている事を洗い出していく非常に大きな作業の入り口にたたずんでいるように見える。 これは大変な転換点だ。躊躇するのも無理はない。

 人類の活動でどれだけのものが環境に対して出ているのか。それは自然の系に対してどのような影響をあたえるのか。それらを知ろうとすれば微量分析や精密観測など、科学テクノロジーが人類に与えた目や耳をフルに動員しなくてはならない。  自然の仕組みを知るために、さらに人も金も使わなくてはならない。 世界中の防衛費がそこに消える程の大事業になる。 

 これを果たして初めて 人類は幼年期を脱した と言える。



人口密集地に 2発              [文化の日]



 E=mc²  このアインシュタインによって導き出された数式の持つ驚異的な本質が、初めて形になったのが 【原爆】 だった。 物の重さ(質量)がエネルギーに置き換わると言う。何と、掛ける光速の二乗という膨大なエネルギーだ。

 1907年に発表されたこの式の意味が、38年後の1945年に広島・長崎で明らかになった。驚くべき早さだと思う。 もちろん、アインシュタインは原爆を作りたくてこの E=mc² にたどり着いた訳ではない。科学者の純粋な求道精神だ。 ただ、ナチスが開発している事を知りアメリカに先に開発するよう求めたらしい。ナチスが世界でただ一国の核保有国になっていたとしたら、、、それは恐ろしい話だ。

 日の出の勢いのアメリカは、1945年7月遂に核実験を成功させ、ものの3週間で躊躇なく実戦で投下してしまった。ナチスはもうこの世になく、日本は瀕死の状態で原爆製造などあり得ないのにだ。 持っている事だけで大変な意味がある核兵器だが、唯一の保有国になったと殆ど同時に使ってしまった。 この勇み足ぶりは何だろう。

 向こうの理由も色々あるようだ。よく聞かれるのは「戦争終結を早めた」という言葉。 では一般の人々が暮らす人口密集地に狙って落とした理由は何だろう? 人気のない山を一つ消す位で充分ではなかったのか。 そして近年よく言われるのは、中2日で立て続けに長崎に落としたのは何故なのかという事。ウラン型とプルトニウム型で一つずつ使ってみたという話も聞く。

 直前まであのヒトラー相手に戦い、旧日本軍の牛耳る日本の本土決戦を前にすれば、まともな神経で居られなかった事も理解できる。 アメリカが今まともな神経なのであればその証に、被爆者に心からのお詫びをして欲しい。



勝てない戦争                [文化の日]



 米ソ対立の冷戦構造とは、核保有の競争だった。一発で広島の何千倍の威力を持つ水爆まで作られた。 ロケット・ミサイルの進歩と合わさって、初の地球滅亡シナリオは全面核戦争によるものだった。 いまだに地球を何個も破壊できるだけの核兵器が存在しているだろう。

 核兵器は実際にはもう使えない兵器になっている。第二次大戦後、何度も世界ではその危機があったが、報復で歯止めが効かなくなるので再使用には至らなかった。
 いま現在、核爆弾を人に向かって落下させる国があれば、 その国は完全に孤立してやがて無くなるだろうし、そうなるべきだ。

 ベトナムでアメリカは勝てなかった。象徴的だと思う。核兵器は使用検討までいったが使えなかった。通常兵器でも質・量ともに圧倒的に勝っていたが、アメリカは勝てなかった。
 この事実は、「核兵器は使えない」という事だけでなく、最早 「解決の最終手段として武力は使えない」 という事を意味しているように感じられる。



2年前、参院選を目前にして                       [文化の日]


Archives of my own より
http://archivesofmyown.blog.so-net.ne.jp/ 

07/7/24(火) 午前 1:29 [ 文化の日 ]
最高権力者である総理以下、ここに書き込む末端まで。 全ての輩が 「どうして民主党なんだ?どこがいいんだ?」、ヒステリックに誹謗・中傷を臆面も無く繰り返す。 これが現与党とその支持者達である。 彼らは今この国で起こりつつある事が理解できていない。 だから気が狂った様に、走り回る。 我々は 『 主権在民 』 実現の為、言わば 「 民主主義の原理運動 」 を開始した。 そして 「 選挙で投票する 」 以外にその手段は無い、という事を自覚した。  

07/7/24(火) 午前 1:33 [ 文化の日 ]
もう一度言いたい。 自民に代えて民主を主として頂こうと言うのではない。 我々が主として選択し、国民の為に仕事をして貰おうと言っている。 彼らの民主に対するやっかみは的外れだ。 彼らは 『 恥 』 を知るべきだ。 良識ある国民は彼らの振る舞いこそ 『 国益 』 を損なうと考える。 我らの求めてやまない 『 誇り 』 は、政権担当するもの達がこの様である限り、決して手にする事が出来ない。



一年半前                        [文化の日]


国の誇り

Archives of my own  より
http://archivesofmyown.blog.so-net.ne.jp/ 

08/3/30(日) 午前 1:12 [ 文化の日 ]
雅楽ひとつとっても大陸の方では廃れてしまった唐楽、高麗楽が日本風に残っている。 まず嬉しく思う。 それは誇りになる。 日本には長く続いた歴史がある。  

08/3/30(日) 午前 1:25 [ 文化の日 ]
明治維新は日本における産業革命だった。 白人主導の科学文明を受け入れた。 誇りを奪われない為だ。 「その時、官僚機構が作られた」。 そして東洋の白人でない国で初めて近代革命を成し遂げ、列強の末席にくい込んだ。 

08/3/30(日) 午前 1:34 [ 文化の日 ]
しかしその結末は悲惨だった。 近代テクノロジーを大量殺戮の為に迷いもなく惜しげもなく。世界最先端の大国アメリカに行使され、国土は焦土と化した。 日本建国以来、初めてにして完ぷ無きまでに、本土で敗れた。

08/3/30(日) 午前 1:40 [ 文化の日 ]
終戦後、マッカーサー率いる米占領軍は、戦後の日本統治には天皇制の維持が得策と判断し、象徴としつつもそれを残した。 しかしもう一つ残したものがある。 それは 「官僚機構」 だ。 

08/3/30(日) 午前 1:51 [ 文化の日 ]
今、この不気味な組織体 「官僚機構」 の問題に、かつて無い多くの国民が目を向けている。 思い起こせば、政治は三流だけど官僚が優秀だというのが、ちょっとした誇りだった。当時からもう勘違いだったんだろうか。 私心なき公僕は、国の誇りだ。

08/3/30(日) 午前 2:09 [ 文化の日 ]
愛国心という言葉を教えるのはいいが、心の高揚を教えようというなら反対だ。 とても誇りには思えない 「お上」 がやろうというのだから、まさにブラックジョーク。本末転倒である。 国の誇りの為には、まず官僚機構を統御できる政権を持つこと。 

08/3/30(日) 午前 2:23 [ 文化の日 ]
くり返す。国の誇りの為にはまず、「官僚機構を統御できる政権を持つこと」 だ。 国民が代議士を選ぶことで、間接的に官僚機構を掌握する。 これが出来たなら、黙っていても国を誇りに思うだろう。 




人格 に対しての Organization 格              [文化の日]


 人格という言葉を、我々は持っている。 言葉を持っているという事は、概念を持っているという事であり、その概念を人の集まり、組織というものに当てはめれば、いわば 「 Organization 格 」 という事になる。  

 人が集まり組織となって動くもの (organization) にはすべからくこの 「格」 というのが存在し、国格、組織格、企業格、党格などという捉え方の概念が成り立つと思う。 この格は、そうおいそれとは変わらない。

 組織に関する研究はまだ足りないどころか、どこも真剣に見極めようという気は無いのかと苛立ってしまう。 法人を人と捉えれば、営利追求が第一と公言してはばからないそんな奴ばかりの世の中は、どんなだろう。 しかも物理的寿命は無い。 

 国の借金が一人当たり幾ら などという話はよくするが、法人一つ当たり幾ら という話は聞いた事がない。 確かに法人に選挙権は無いが、裏から表からの企業・団体献金という形で政治に大きな影響を持っている。 組織票というのもあるらしい。  法は法人に甘すぎないか?



資本主義か共産主義かではなく              [文化の日]


 
 産業革命後、法人が巨大化した。資本主義という都合のいい理論であげくもたらしたのは、先の世界金融危機。対抗した共産主義は1990年代に入ると消滅したが、その後の20年近くの結果を見れば資本主義もまた敗北したと言えるのではないか。

 共産主義は原点においては理想に溢れたものだったのだろうが、結果は忌むべき 「一党独裁」 を招いた。 北朝鮮においては最高権力者をなんと世襲で継承し、金王朝まで作り出している。 組織というものを野放しにした状態で、共産主義を受け入れればこうもなるという事だろう。 それに東アジアという要因が加わるとされれば、我々も不名誉な気持ちになる。

 いま問われているのは資本主義か共産主義かではなく、民主主義の原理運動である。 一人一人がよく知り考え、選挙で代表を選び、その代表の多数決で法を定め、 法人・組織そして国の暴走を許さない。 これがこれからの我々のありようだ。




 最強国家、日本                [文化の日]


 気候変動は、人類文明 幼年期の終わりに現れた 脅威 だ。 そして事が CO2、温室効果ガス にとどまるとは考えない。 科学テクノロジーが意図せずに及ぼす影響全てを新しい 脅威 ととらえて、全世界が真剣に取り組む必要がある。 次の段階の人類社会が、相変わらず矛盾や理不尽をかかえた世の中であろうことは間違いないが、少なくとも 「自然と調和して生きる方が まとも だ」、という人類全体の共通認識が生まれてくるはずだと考える。 

 科学テクノロジーが進んだ現在になってやっと、人類は自然というものの、とてつもないなどという言葉でもまったく足りない、偉大さに気付き始めた。 
 しかし、我が日本には遠く縄文の昔から生き続ける、 自然を敬う心がある。 そして最先端のテクノロジーがある。 これに加えて、解決の手段として武力を使わないという決心があるのだから、最も近代的な意味で 世界最強 なのである。



地球を守る?                        [文化の日]



 「地球を守る為、、、」 環境について話される時によく聞く言葉だが、地球ではない、我々この人類の問題なんだと つい念を押したくなる。 地球が水星や金星のように 生命が存在できないような環境になっても、地球それ自体が無くなる訳ではない。 危機に瀕しているのは地球ではなく人類つまり地球生命が、という事だろうと。

 「地球生命の健やかな生存を可能にする環境が守られるかどうか」、その一点ではないのか。 だから人類はもっともっと自然を敬い、それを日々の生活の中で当たり前のように実践し調和するべしという事を、この日本から発して行くべきだと考える。



 明治維新                  [文化の日]



 産業革命というのは、この日本へはどのように伝わってきていたのだろうか。 いずれにしろ日本は、幕末がおとずれるまでの少なくとも数十年、やり過ごしてきたと言う事だろう。

 植民地主義が帝国主義に変わった頃、その産業革命で手に入れた武力で 西洋 は、我が日本に開国を迫った。 アメリカがその役を担った。 黒船だ。 

 船と馬しか無い時代、西洋から日本は遠かった。 グリニッジから見て極東なのである。 そして島国であることも相まってインド、中国(清)と 西洋 が伝わって来るのを、聞いて考える時間があった。 

 馬と船、人力でしか情報が伝わらない、小規模の印刷しかない、そんな時代に。 お互い連携したわけでないのに、日本の幾つかの場所でほぼ同時に、幕末から維新にかけて活躍した人物が立ち上がる。 攘夷・開国と変遷するが、要はこの世界情勢の中、いまの幕府体制では駄目だという思いだったと思う。

 同時多発的に始まったと言える、明治維新。 これはとても不思議なことで、これが無ければ中国(清)のように、いいようにいじられていた可能性がある。 つまり、日本が自ら産業革命を成し遂げたと言う 大きな側面を持つ 明治維新 は、幸運も合わせて民族の力で成された。 東洋人、黄色人種として初の事だ。



 たとえば写真                  [文化の日]



 写真が出てきて、絵の意味は大きく変わった。 それまでの、現実をありのままに描写する、という役割がなくなった。 きっと絵描きの世界でも混乱があっただろう。 写真の発明は1827年とされるが、世に出回ってきたのは1850年代あたりのようだ。 その後 絵の世界では、写実性に重きを置かない 印象派が出る。 

 日本の歴史で初めて、幕末の志士たちは写真を残している。 ちょうど写真が出回り始めたその頃に出くわしたのだ。  ごく初期の写真を見て、その画質のクオリティーに驚く。 レンズと感光剤なのだろうが、最初からすでに完成の域に近いと感じる。 当時の人の驚きは、いま我々がどんなに想像しても想像しきれないのではないか、と思う。 写真ひとつとっても、人類史上とんでもなく画期的な出来事だった。

 このような産業革命という言葉でもくくりきれない、近代テクノロジーの大革命が進むその時に、日本は明治維新をおこなった。     



組織をうまく使いこなす社会                  [文化の日]



 同窓会で店を出た後、歩道で通行のじゃまになっていたりする事は、知らずに誰もがついやってしまいそうな事だ。 酒だけでなく、集団になって群れる事は人を酔わす。 
 組織もまた同様と考える。 人は組織に入ったとたんに酔う。 つまり、意識が変わる。 その酔わせたものの正体が、《 人格に対しての Organization格 》 http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2009-10-03 でOrganization 格 とさせてもらったもので、法人であれば法人格というのがあたかも一人の人間のように人格を持つ、その人格の事である。 これは全ての組織、人の集まり、Organization に存在すると考える。
 この組織というやつが持つ人格は、本質的に危険な性向を持っている。 人と違って 死 というものがない。 ずっと大きくなりたがり続ける。 

 また、野球部がまとまって朝のラッシュの人ごみで行動すれば、それだけでも迷惑だ。 個人と同じように法人が法の前で人格を認められているのだから、法人が社会という人ごみでやって行くのには、もっと自覚が必要だと考える。 

 金儲けが第一と公言してはばからない、企業や。 税金でまかなわれる、公務員による組織など。 我々はこれらにこれまで甘すぎたのだと思う。 
 


アポロ計画というモニュメント           [文化の日]



 地球儀があれば日本列島を見てほしい。 東京・大阪間はごく近いと思うが、その分を縦にした高さが、アポロ以外での我々が 宇宙 と呼ぶ領域だ。 有人宇宙飛行の話をしている。

 計算し易くするために、仮に地球の直径を一万kmとする。 国際宇宙ステーションが地球を周回する軌道は高度350km。 直径10cmの円を描きこれを地球とすると、わずか3.5mm外側を飛んでいるに過ぎない。 もちろんこれを行うだけでも驚異的な事だ。 代々積み重ねが効く自然科学、科学テクノロジーが指数関数的に爆発的な成果を挙げ始めなくては達成できない。

 さて、次にその10cmの地球に対し月はどこに位置するかといえば、38万kmつまり3.8m先。 部屋の端までいってしまう。 そこに到達し、軟着陸し。 音声のみならず動画映像の生中継を行い旗を立てて、土壌を持って生還する。 これが1969年のアポロ11号だった。 
 月面着陸は以後1972年まで、6回おこなわれた。 1968年からの月周回のみの飛行を合わせても8回。 スイングバイで帰ってきたあの13号を合わせても9回。 これらだけが全く別物だったのだ。 ガガーリンから山崎さんまで、このアポロの約4年間を除いた50年。 1972年、最後のアポロ17号以来 約40年。 人類にとっての宇宙とは地球の周りを皮一枚、なのである。 

 現在の有人飛行が取るに足らないなどと言う気は毛頭ない。 ただ、あのアポロ計画というものがどれだけ途方もない事であったかを言いたい。
 1969年は同時に米がベトナムで転機を向かえた時期であり、英米のロックミュージックにとっては空前絶後といっていい特別な年だった。 アポロ計画と The Beatles , King Crimson , Led Zeppelin のその時代を考えると、とめどなく興味深い。

 人類文明が巨大な曲がり角を曲がったととらえている。



ジャーナリズムあっての半径5メートル以内           [文化の日]



 メディアが 無ければ、人は半径5メートル以内の こと 以外、確信に足るものがない。 あとは 遠めに見た事と、聞いた話だ。

 近代科学テクノロジーによる革命の初め頃、文字が印刷されるようになって 新聞が登場し、二十世紀にはその運搬を電波によって瞬時に成し遂げる ラジオ 、そして一気に登りつめるように 二次元平面動画 まで伴った テレビ が出現している。 まだ我々はこのテレビメディアを、整理できていない。 二次元動画と音声が合わさったメディアとの関わり方を、実はまだまったく分かっていない。

 マスの資本主義社会で巨大な企業に、人間は この目で見た という重大なことを、あずけている。 その根幹にあるのは、ジャーナリズムに対する信頼だ。 だからメディアで禄をはむ者であれば、ジャーナリズム魂を貴ぶべきだ。 私たちも、この自由主義経済の中の巨大企業がやっていることだという事を常に意識したほうがいい。



死刑、無期懲役と終身刑。              [文化の日]



 死刑そのものを論ずる前に、日本には 無期懲役 と死刑の間に何もない事が問題だ。 無期懲役は 終身刑 ではない。 無期懲役とされて 死ぬまで刑務所に入っていた人は、そう多くないはずだ。 仮釈放 というのがあるらしい。

 運用上の差として、死刑判決が出てもなかなか執行されない、下手をすれば天寿を充分まっとうしたのではないかと思われるほど長生きして。 これが言ってみれば事実上の 終身刑 だ。 執行の恐怖に向かい合い続ける事を除けば。 



タグ:司法 とが

大なり小なり、 貴族 。              [文化の日]



 風呂をいい加減に保つのも、洗濯やその水を汲み上げるのも。 先進国に居る我々は、召使を何十人も使った生活をしている。  

 近代科学テクノロジーによる劇的革命が起こるつい百何十年か前までは、貴族にしか許されなかった生活を。 我々は先進国に居るという事で、享受している。 
 
我々は、大なり小なり 貴族 。
 



難しい長生き              [文化の日]



 古来、長生きは めでたい 事だった。 皇帝は、 不老長寿 の薬を外聞もなく求めた。 いったいいつから、こんなに長生きが難しい時代になったのか。 それは、産業革命に端を発した 近代科学テクノロジー による大革命と、無縁では無いと思う。 大なり小なり 貴族 となる事と引き換えに、我々は本当に 長生きが難しい 時代をむかえたということだ。



先達としての責任              [文化の日]



 共産党が一党独裁支配を続けながら、自由主義経済を取り入れ。 今やアメリカに次ぐ世界第二の経済大国になろうという。 こんにちの中国は、西欧を起源とする近代科学テクノロジーの革命が産み出した、奇妙奇天烈(きみょうきてれつ)な怪物だ。 我々人類が、この怪物の出現を許した。 同じ東洋人として、ここ二百年においては先達の日本にも大いに責任がある。

 G2 と呼ばれる一方がこの怪物だ。 この事実が端的に現在の人類社会全体の問題を現している。 経済一辺倒、結果オーライ主義もいいかげんにした方がいい。 日本は中国に道を示すべきではないか。 



 必要な 貿易              [文化の日]


 縄文時代でも、石器の材料であった 黒曜石 などは、ごく限られた産地からかなりの距離を運ばれ、利用されていたらしい。 あの時代でも、びっくりするような距離の物流があったようだ。  いま、あらゆる物が大量のエネルギーを使って長い距離を運ばれ、消費されている。 不遜な文明、花盛り。 

 現代の 黒曜石 は何か、本当に必要なものだけを動かすようにすべきではないのか。  人類は、貿易の幻想にとりつかれている。



注:
縄文時代は日本における石器時代の最後期である。 弥生時代とは日本に青銅器と鉄器が一度に入ってきた、いわば 金属器の革命 である。 



第一の閉塞感              [文化の日]



 1945年原爆が人の上に落ちた時から厳密には始まっているが、1969年 アメリカがベトナムにおいて後退を始めた時 決定的に 軍事 から 経済で争う時代に突入した。 もう 軍事 では物事、解決できないのである。 しかしいまだに軍事が最終的解決手段である世界を望む、そのような人々の力が強すぎる。 

 これが今、人類社会全体を覆う閉塞感の第一だ。



経済なくして軍備なし              [文化の日]



 1969年人類が月に行った年、世界は経済の時代に突入した。 つまりどれだけ儲けたかで優劣、雌雄が決っせられる。 しかし実はこれは軍事の時代から続いていた。 乱暴に言えば、自民党政権が去っても官僚機構がそのままの姿で悠然と生き長らえてる今の日本の状況のようなもので、経済がなければ軍事も軍備も無かった。 力ずくで経済を奪うか奪わないかの差、があるだけだ。 

 軍事と経済は、実のところ同根であろう。 



かっこいいは、手ごわい。              [文化の日]



 近代科学テクノロジーによる人類社会の大革命はあらゆる物事を変えた。 指数関数的な上昇のおとずれがあったように思う。 軍事も経済も、そのただ中にある。 そして軍事が去ったとしても、経済は手ごわい。 何故か? それは美意識に由来するかと思う。 金があれば解決できることが常に優位に立つ、つまり かっこいいと感じる感性が手ごわいのではないかと思う。

 どこから見ての 手ごわい なのか、それは 地球生命の健やかな生存 という所から見ての、手ごわい なのだ。



 世界経済戦争              [文化の日]

  

 経済戦争、そんな言葉はやはり 1970 年代から聞かれるようになったのではないか。 その頃 日本では、各分野で世界一の量産品を普通の値段で出すようになった。 電源タイマーしかり、シャープペンシルしかり。 いつまで経っても壊れなくて、庶民が買える世界最高品質の物にあふれていた。 日本人はそれを売り、豊かになった。 

 コマーシャリズムというのは、新しいモデルで買い替えを求めた。 日本の粗大ゴミは、まだまだ使える家電であふれた。 メーカーはそれを見ていた。 せいぜい 10 年、物によっては 2,3 年で駄目になるものばかりを出すようになった彼ら。 スイッチの一つから、部品選びでそのような設計がなされるようになった。 これは今も続いているだろう。 実際、製品の寿命が来る前に使わなくなった MD のような物も多い。 

 とにかく買わされる、売れなくては戦いに勝てない、それが凄い回転になって、雪だるまのように世界経済というのが、中国やインドといった人口を巻き込んで次の段階に行こうか。 というのが、現在の 世界経済戦争 である。

 これは、いわゆる エコ と。 どのような整合性を持つのか。



戦場報道              [文化の日]



 平和の銃、カメラによる画像が 戦場報道カメラマン の取材によって視覚的に伝えられたのが、ベトナム戦争だった。 当時日本でも、生々しい戦場の様子をニュースでかいま見た。 そのころ伝えられた報道写真を見ると、あの 1969 年を核とした 1965 年から 1975 年の間にそれらが世界、国際舞台に向けて発信された事は、まことに興味深い。 西洋文明による一つの頂点が、人類全体を、いやが上にも目覚めさせた時代だった。 これが、勝てない戦争 の時代をもたらした。 平和の銃が勝ち取ったのだと、思う。

 ところが湾岸からその後は、戦場に入るのが難しくなりメディアには政府統制下におかれた情報しか出て来なくなったと聞く。 旧・ソビエトが絡んだ侵攻・紛争などであれば、もとよりそんなものは微塵もないだろう。 しかし皆が携帯を持ち、進んだ社会と思われる今になって、あのアメリカでは完全に逆行するように、リアルな戦場を伝えなくなっている。 

 果たして人類は 1969 年から進んでいるのか? という事だ。





参照:
平和の銃 》 
http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2010-03-06

勝てない戦争 》 
http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2008-08-09-1

軽井沢で自転車に乗っていた John Lennon 》 
http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2010-05-10

アポロ計画というモニュメント 》 
http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2010-04-07




第二の閉塞感              [文化の日]



 日本が大変な事になっている。 しかしこれは日本だけではない。 中国も米国も、大変な事になっている。 中国ではとにかく経済だけは良くしておかないと、体制が持たない。 そんな話を聞いた。 米国についても、国民は景気が悪ければ、なにかよくは分からないがきっと今の政権に問題があるのだろうと 選挙で野党に入れる、こうあちらの専門家が言っているのを聞いた。 世界中が経済、雇用、つまりは金。 景気よければ 七難隠す。 拝金主義は、すでに世界を平定しているように見える。 

 これが今、人類社会全体を覆う もうひとつの閉塞感だ。 



メディア              [文化の日]



 携帯を開けば流れてくる情報。 なぜこの順番なのか? それを決めるのはメディアである。 コンビニのように限られたスペースでどれをどう扱うか、そもそも扱わないか。 決めるのはメディアである。 だから、我々はメディアに対してゆめゆめ、無関心であってはならない。 メディアとは、我々の耳目の延長である。 世の中がどうなっているのか知る、唯一のツールなのだ。

 マスメディアであれば、なおさらの事だ。



参照:
《 敗戦とメディア 》
http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2009-05-08

《 ジャーナリズムあっての半径5メートル以内 》
http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2010-05-11



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