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長生きにふさわしい 生き物              [文化の日]



 西洋医学進歩のおかげで、なかなか死なない世の中になった。 問題は、長生きにふさわしい 生き物 に、我々人類が なっているのか、という事だ。

 歳をとってもいつまでも世の中の為に活動し、それがならなくなった時が、死ぬ時。 これが望ましい。 孫に昔の話を聞かせる、でもいい。 一服したらあがって下さいの一服が、長過ぎる人生はいかがなものか。 



世の中を動かす、美意識              [文化の日]



 世の中を動かすのは、とどのつまりは。 美意識、だと思う。 かっこ良いか、かっこ悪いか、ということだ。 なにを ミーハー な事を、と思うかもしれない。 しかし、ミーハーを 侮ることなかれ。 女・子供と言い捨てること、なかれ。 あの The Beatles を最初に正しく認識したのは、女・子供。 ミーハー ではないか。 



いまの中国              [文化の日]

 

 中国は、歴史を思えば、言うまでもなく我々 日本にとって、大きな国である。 それは、忘れてならないと思う。 文化で言えば、明らかに一つのグループに入っている。 

 しかし我々には、縄文 という文化がある。 自然を敬う。 アニミズムが世界で唯一、先進国で残っている国。 日本。 その日本から申し上げたい。 

 中国の、今の政治体制は、おかしい。 



 孔子平和賞              [文化の日]


 メディアを通じてこのニュースを観ると、もはや いまの中国の滑稽なまでの やばさ を笑う気にもなれない。 これは我々日本人の身内の問題なのだ。 ガリレオ、ニュートン、アインシュタインと続く西洋に対して、いまの東洋の先達として日本は、孔子平和賞をここに来てでっち上げる中国を、血を共有するものとして恥じる。



 名を称する              [文化の日]



 おかしな帝王学は、政治の世界を論ずる。 知恵の言葉を聞きつつ、それを俗、巷の世界にどう投じて行けばいいのかを申し上げる。 文化の日は、知恵の言葉を聞きつつ生きるあり方から、申し上げる。 苔の生すまでは、日本人として心から申し上げる。 

 すべて一つのものの違った投影であり、その一つのものは真理、悟りとされるものと同根と考える。 



年寄りの話を聞く              [文化の日]



 年寄りが一人亡くなると、図書館一つが失われるようなものだ。 そんな言葉を聞いたことがある。 近代科学テクノロジーによる社会の変革は、新らし物好きの優位を演出し。 若者の知的優位性を高めた。 スマートフォンを自在に扱えるのが、そんなに偉いのか?

 少なくとも人類の歴史、石器時代からの人々と。 真の意味での知的レベルが、それ程違った時代が未だかつてあったのか? 人類は、もっと謙虚になるべきではないのか。

 地図ではなく、実際に見聞きして体験した。 そんな人の見識を、我々はもっと重んじるべきなのである。 身近な年寄りの話を、もっと聞いたらいかがだろうか。


参照: 
《 知識と見識 》
http://bunkanohi.blog.so-net.ne.jp/2010-03-23




風船人間              [文化の日]



 金融は経済の血液に例える話がある。 血液だらけの風船みたいな人間が、気持ち悪くないか? 筋肉や骨も内臓も支える、血液とは頼もしい縁の下の力持ちではないのか。 その立場におさまるべきだと思う。  金融が肥大した社会は、気持ちが悪い。 




      礼儀をつくして、敬うべし。              [文化の日]



  地図を観て、その美しさに見とれる時がある。 
  海岸線の織りなす、美しいかたち。

  夕暮れに、木の枝の美しさに魅せられる事がある。 
  星空せまる空に、黒く浮き上がるかたち。

自然のやることには、うそがない。 礼儀をつくして、敬うべし。
 


自然への礼儀                          [文化の日]


 
   自然は時に絶望的なまでに厳しく。 
  しかし、恵みの全てを与えてくれる。 
 我々は この世に、仮住まいさせて貰っているのだと言う事を、
   常に言い聞かせる必要があると思う。  
 
     礼儀をつくして、敬うべし。



文化の日 http://bunkanohi.blog.so-net.ne.jp/ より




核 エネルギー という果実              [文化の日]



 素人私見で大雑把に言って、19世紀までのいわゆる産業革命は化学の時代、20世紀は物理の時代ととらえている。 力学で言えばニュートン、日本で言えば江戸初期の話しになるが。 目の前で起こる物体の運動については精密に解き明かされていた。 ここで言う物理とは、量子力学、相対性理論、素粒子論らの事で。 その開花期、ルネサンスは日本でいえば明治末期から大正、昭和最初期のころ。 20世紀初頭のことだ。 アインシュタインが大活躍した。 

 その我々の外的部分、つまり物質界への知的好奇心は 核 というものをえぐり出した。 この量子力学・相対性理論に代表されるものの成果が、核兵器であり、原子力なのだ。 




 核 との因縁              [文化の日]


 1930年代というのは、なんとも人類にとっておかしな時代だったように思う。 昭和初期、関東軍が大活躍した頃。 ヒトラーが台頭し、電子顕微鏡、蛍光灯、一眼レフカメラ、ナイロン、LSD が登場した。 来るべき第二次世界大戦に向けて科学テクノロジーも総動員して備えているような機運だ。 

 知るだけで、このナチスドイツ、アメリカ、旧ソ連 そして日本が40年代に入り原爆の研究を進めた。 アインシュタインはナチスドイツが原爆製造に取り組んでいることを知りアメリカに原爆製造を進言したと聞く。 ヒトラーが原爆を手にするという悪夢のシナリオを、先手を取って阻止するために。 しかしナチスヒトラーは原爆製造に成功せず滅亡し、その後 原爆を完成させたアメリカは少しの躊躇も感じさせずに、広島・長崎の悪夢をもたらす。

 戦争というのは科学を進めると、敗戦を経験した日本人は言った。 1969年の気分で言えば。 なにも 核 まで行く必要はなかった。 人類史上初、原子爆弾を市民の日常の上に二度も落とされ、今回はこのような形で原発事故が起こる。 核と日本の、不思議な因縁を思う。 


追記:
1930 年代にはまた、 ジェット と ロケット が出ている。  2012.10.21


放射能              [文化の日]



 放射能とは、放射線を放出する能力。 光に例える話がある。 放射能をあびるとは、光に照らされてしまうようなものらしい。 この光のもとである光源が 放射性物質というもので、これは物である。 放射性物質とは、放射線を放出する能力のある、つまり放射能を有する物質で。 放射線とは、アルファ、ガンマ、ベータ、エックスなどあり、なんなら光に変わりますよというくらいの極限の微粒子の放射であるらしい。 

 波でもあり粒子でもあるという、20世紀初頭 外方向性 知的好奇心の行きついた極地のど真ん中である。 



ギリシャ時代とアトム              [文化の日]


 アトムというのは遠くギリシャにその言葉の起源があると聞く。 物質を細かく分けて行き、もうこれ以上分けられないという究極の粒子として、アトムが提唱されたそうだ。 これが近年になって、原子を表す言葉として使われるようになった。 

 ギリシャ時代とはたいした時代で、哲学をあたり前にこなしながら、物理や幾何学などではこんにちまで定理や原理として教科書の一番はじめの方に記される程の成果をあげた超人が何人もいる。 この中のデモクリトスらが二千四百年ほども前、日本では弥生初期に、原子論をとなえた。 



第二の アトミック・ボム →  テレビ              [文化の日]



 日本のテレビメディアは 昭和28年(1953年)NHK が、また民放は同年半年ほど遅れて視聴料を取らずCM収入で商業として成り立つ形で、開放された。 GHQ 統治の終わった翌年からのことだ。 ここまでの慧眼をお持ちだったか定かではないが、米国の高官もしくは識者が TV メディアは第二のアトミックボムだと発言したと聞いた記憶がある。 以来、日本人の属性にもスポンとはまって、独特の形で大きくなったのが、在京および幾つかの在阪キー局と言える。

 むし返すが、ナチスでも解体されたと聞く戦時御用新聞メディアが、日本では臆面もなく看板そのままで戦後も存続した。 天皇、官僚機構(except 海軍省、陸軍省)、そして新聞メディアが、残された。 占領政策によってと、言っていいと思う。 その大新聞メディアがそれぞれ、全国ネットのTVメディアを持ちだした。 やがてTVメディアの方が大きくなり牧民は大成功したかに思われたが、インターネットの出現で、また不思議なことに天災もきっかけとなって。 思惑通りにも行かなくなっている。



参照:
《 敗戦とメディア 》
http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2009-05-08




車              [文化の日]

 

 人を物質的に観れば、動物、動く物だ。 その手足は、外に向かった好奇心によって得た果実、テクノロジーによって、車になった。 

 いつも車に乗って現れる人物が、たまに電車に徒歩でやって来ると、妙に貧相に見えてしまったりする事がある。 車を着ているのだ。 

 車がこの安全対策で人と同じ平面を移動している現状は、過渡期であると思いたい。 強い車が大きく譲り、足りないところは人を安全に隔離するかだ。 歩道橋のような発想は認めない。 車が先進国でこのように使われ出したのが、アメリカなどで早くても80年前。 まだまだ社会でのありようを見つける段階だと思う。 法人について、 Organization 格 というのを申し上げたが、車に乗っている人は車を着た 車人格 ととらえる。 法人と同じく、しっかりコントロールされるべきだ。 

 コンピューターと車は、人間がつくった機械の中でも特殊な好対照をなしている。 いずれこの二つは合わさって、人の日常を変えて行きそうな予感もある。    




日本の経済              [文化の日]



 日本を経済の面で見れば、戦前の経済規模は世界何位だっただろう? はっきりしているのは、なんとかそこそこの経済規模にしていたものの、完全に敗戦によって破壊された。 そしてそこからの経済の立ち上がりが、後に神話のように語られるだろう、日本の戦後復興だ。 

 1960年代の後半に、日本は世界第二位の経済規模となった。 工業生産力のおかげだと言っていい。 70年代日本は、世界最高品質の工業製品を誰もが買える値段で出した。 困ったのは、アメリカだった。 

 80年代、日本は何の自覚もなく。 お笑い軽薄短小、ひょうきんブーム、おにゃんこ、バブルの土地・株 高騰。。。  金と女で、骨抜きになっていた。 誰もが株や不動産の話しをし始めたころ、バブルが崩壊した。 その後、失われた十年と言われたが。 もう早、二十年だ。 ジャパン・アズ・ナンバーワン は、張りぼてだった。

 日本は東洋の国として、我々の経済のありかたを実践する義務がある。 80年代から、結局 踊り続けの日本人だが。 市場経済至上主義、自由主義貿易経済に対して、もちろん共産主義などではない、西洋の長所も生かした経済を、見つけていく役目が日本にはあるのだと思う。 


参照:
《 世界経済戦争 》
http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2010-11-14



紳士的だった占領統治               [文化の日]



 無条件降伏の相手にしては、アメリカは日本に対して紳士的だった。 GHQによる戦後統治は、まれに見る成功をおさめた。 巨額の賠償金などという事はなかったが しかし、根元にくさびを打ち込んで行ったように思う。 こと経済においては、疎いという事があるはずが無かろう。 まだまだ吸い足りないと言っているように聞こえる。 日本人がいまも米国に隷属しているようだと思うところは、すべてその帰結ではないか。 それらはいまだ、日本を動かす力を持っているように思う。


追記:
今回の震災に際し、米軍のまさにサンダーバードのような支援活動には、感謝を申し上げたい。 しかし日本の根底にある問題を考えるとき、上述の事柄は指摘しておきたい。


 

 木簡              [文化の日]


 木簡(もっかん) は奈良時代の行政で用いられていた記録で、大量に発見されているらしい。 聖徳太子からは百年ほども経った時代だが、奈良時代ははっきりと今の日本とつながる形になった時代である。 おかみ、というのはこのころ生まれたといっていいと思う。 国でも政府でもなく、おかみ。 これがある意味ずっといままで続いている。 

 省、というのは聖徳太子が名づけた。拭い去れない無駄を生むベクトルがあるものなので、省くという意味を込めて 「 省 」 とした。 ------ こんな説を聞いた。 真偽はともかく、気に入っている。 考古学や歴史の発見から、官の組織を学門的にながめる研究がもっとあっていいと思う。



 夜をぶっとばせ              [文化の日]



 写真と同じように、明かりがもたらされた。 産業革命に端を発する、近代科学テクノロジーの大革命によって、それはもたらされた。 我々は何十万年という間、炎の明かりだけで夜を過ごしてきた。 日本で言えばつい明治のあたりまで本当に長きに渡って、人類は夜は何かが燃える明かりだけに頼っていた。 遂に日本は、その流れの先鞭をつけたヨーロッパよりも明るい夜を過ごしていたらしい。 いままでどうだったのか? を声高に叫ぶ人たちは、もっとずっと大きなスパンで同じ事を考えるべきではないか。 我々はいま、大変な文明の転換点に立っている。

 夜の闇を忌み、明るさを際限なく求める感性は。 
       同時に 田舎 をさげすむ感性につながっている。 


参照:
《 たとえば写真 》
http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2010-02-22
《 文明の転換点 》
http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2008-08-04-2




 超伝導電池              [文化の日]


 80年代後半、常温核融合と高温超伝導が話題になった。 自動車用のバッテリーのような装置で、非常にゆっくりとした核融合反応によってエネルギーを取り出す。 これが、常温核融合。 これはこの後、あやしげな話として葬られている。 

 記憶ではセラミック技術の進歩と合わせて、それまでの常識を破る高温で超伝導になる物質が出来た、これが 高温超伝導 。 液体窒素など使わなくても、ひょっとしたら近い将来、冷凍庫ぐらいの低温で超伝導ボックスが出来るのではないかという話だ。 

 この二つがもたらされれば エネルギー問題は解決すると、当時 思った。 いまはアメリカに居るブルースロックギタリスト、彼はその話に身を乗り出していたのを思い出す。 超伝導ボックスは一度電気を流せば無抵抗で永遠に損なわれず回り続ける、つまり理想の電池、そう聞いていたからだ。 



注釈: 高温超伝導
ある物質は、この世の最低温度である 絶対零度 ( -273℃ )に近くなると超伝導という現象を起こす。 これは電気抵抗がゼロになるという事で、この現象がかなり高温で得られるような人工素材が80年代から開発されたが、いまだに-100℃ を上回るものは出ていない。



中性子線の利用              [文化の日]


 放射線の利用できる所は、非破壊の内部・画像診断。 その他、少々。 放射能は、透過力と破壊力が共存する。 原爆や原子炉で起こっている、連鎖・核分裂反応。 今で言う 臨界 は、中性子線でもたらされる。 放射線の利用でいけば、中性子線が まずいのではないか、と思う。 アルファ、ベータ 、ガンマ、エックス など分けられるが、透過力での五段階評価ぐらいになればいい。 その中で最強の中性子線が、まずい。 と言う事では、ないのか。  


 

テレビ、スピーカー、電池。              [文化の日]


 
 最後の真空管、ブラウン管のテレビも液晶の登場で、壁掛けと言えるまでの薄さになった。 昭和40年代初頭、1960年代後半。 スピーカーと並んで口径と同じ位の奥行きを必要とする、テレビだった。 スピーカーは、携帯機器に見られるような音の良さはもたらされたが、ちゃんとしたスピーカーの音には到底かなわない。 さて、電池だ。

 テレビやスピーカーより、電池だ。 これが、進んでいるようには見えない。 電池と言わず、蓄電できるシステムでもいい。 水道システムでいう貯水タンクらしきものも、電気には無い。 光速に近い速度で流れ、消えてしまう。 ますます電気に依存するこの社会で、中央集権的に発電し分配する。 それは美味しい仕事なんだろうと、思う。 蓄電もなく、太陽光などのミクロの発電を踏み潰すような行為が出来るらしいから。 




 中世のパラダイム              [文化の日]


 堺屋太一氏が、知価革命の中で述べていた記憶があるが。 中世とは宗教が牛耳る、封建制度の時代だったと。 近世、近代に入り。 資本主義が勝利した今。 その代わりは何だと考えれば、金と肩書きに行き着くような気がする。 

 金、すなわち経済は、では中世はどうであったのかと言えば、もちろん大きな力を持っていただろう。 金、経済とは、人間の痛いところを突いてくるこの世の魔であって、金が生まれてこのかた、トップあたりから外れたことはないはずだ。 中世では宗教がこれに対抗しうるパラダイムだったが、いま対抗しうるものが無く。 経済とそれに連動する肩書きのパラダイムが、世界を牛耳ろうとしている。

 ポスト近代は、哲学を競いたい。 経済至上主義を、御するべし。 




白を求める、いのち。              [文化の日]


  現実はいつも、真っ白でもなければ 真っ黒でもない。 
  グレーである事に変わりはない。 
  ただし、より白を求めるのか、しょうがないで済ますのかには、
  想像の及ばない 違いがある。




 天安門事件              [文化の日]


 冷戦時代とは、米ソが美意識を競った時代でもあるように思う。あのソビエトをかっこいいと思った人は、日本にも居たし、旧・共産圏では覇権を握っていた。 資本主義と共産主義の争いだが、その粋がり方も、我々は見ていた。

 スプートニクを米に先駆け打ち上げ、ICBMによる攻撃の技術というものでも優位に立ったかに見えたソビエト。 1950 年代、あそこがピークではなかったのか。 

 中国と言うのは、商人国家で。 そこがどうしようもないので、共産主義で抑えてる。 経済解放前の中国について、識者から聞いた。 それが鄧小平以後、黒い猫でも白い猫でも、ネズミをとってくる猫はいい猫だ、として資本主義を取り入れた。 そして、今である。 

 共産主義とは、官僚国家である。 マルクスの理想には遠く及ばない。 妙な美意識の連結だ。 これが今の中国、言わせてもらえば美意識を疑うようなありようだ。 



 信長、秀吉、家康              [文化の日]


 織田信長、秀吉、家康と。 中世から近世への変化は、興味が尽きない。 気宇壮大で、恐れを知らぬような信長。 こんにちのテレビメディアにあたるような下世話の帝王、秀吉。 共済年金まで入れて、勝ちとばかりに徳川幕府。 

 彼らの起こした日本民族統治のムーブメントは、当然のごとく不完全で、明治維新でつじつまが合ったかに思われたが、官僚機構は太平洋戦争で限界を露呈した。 それが占領統治によって温存されている。 ここに不幸があるのではないかと思う。 明治維新でつじつまが合わなかったところを、いま我々が合わせて維新の完遂を目指すべきなのではないか。 官僚機構を統御すべし。 これは同時に、日本の真の独立をも意味する。 


参照:
《 維新の完遂 》
http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2010-02-16-1



アインシュタインと視覚              [文化の日]


 光 が、どれだけ特別なものかを。 一分のすきもなく描いて見せた、アインシュタインに。 最大の敬意を表したい。 それによってもたらされる我々の 視覚 というものが、どれだけ特別なものかを、物語っている。



大げさな夢想              [文化の日]


 洗濯物を干していて、風呂のフットマットとTシャツを洗濯ハンガーに掛けたら、厚手のフットマットは支点に近いとこで水平となり、なんだか中高の古典物理を思い出してしまった。 

 水たまりを雨粒の波紋が広がっている時、誰も見ていないのに、精緻に法則に従って美しい乱れが延々繰返されている。 この世を主催するものは、例えようもなく素晴らしいと感じてしまう。 神でも、仏でも、いい方は何でもいい、いわば、天 。 自然そのものといってもいいし、この世、といってもいい。 

 この世、の中にこの地球自然環境を与えられ。 気の遠くなるような年月を経て我々が出現し。 その人類の歴史でもほんのごく最近になって、一気に近代科学がこの世の根本に迫る。 アーサー・C・クラーク言うところの 幼年期 を脱する時期といえば、大げさな夢想家とされてしまうだろうか。 



核物理エネルギー              [文化の日]


 化学と物理というのは、面白い関係だ。 ニュートン力学の物理が到達した、この世の根本原理。 数学と見事な調和を見せる。  それにアボガド定数あたりの化学が、分子というこの世のもうひとつの根本にせまる開花を見せる。 しかし、原子を扱ったのは物理学者だった。 

 産業革命以降、人類は化学エネルギーを享受した。 しかしそこに非常に乱暴なかたちで、物理の最先端から 核エネルギー がもたらされる。 二十世紀初頭、アインシュタインらによって起こった物理のルネサンスと、人類史上稀に見る現象、ヒトラーが。 この世に原爆をもたらした。 

 その平和利用が、原子力発電だという。 廃棄物処理が先送りして続けられていることだけとっても、すでに環境意識の高まっていたはずの我々は異議をとなえるべきだった。 

 核は、あのヒトラーや、また旧日本軍、広島長崎の日常に原爆を落とすという米軍が全て牛耳るような世を終わらせる為に、天より授けられたのだという気がする。 中性子線の利用は日常では控え、人類全体の防衛費として、小惑星衝突のようなものに備えて核爆弾の技術を維持すればいいと思う。 地球上に実験炉の一つか二つもあれば、十二分ではないのか。

参照:
《 人口密集地に 2発 》
http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2008-08-09



宇宙から観た、ベトナム戦争 - アポロ計画              [文化の日]


 文明が起これば、やがて移動手段を開発し。 球体というこの世の究極の姿で空間に漂う、天体から。 別の天体に到達すると言う、大航海時代に起こったベクトルがたどり着いた時が。 文明の転換点なのではないかと思う。 

 これが、地球に興った人類文明においては 1969年。 昭和で言えば、44年の事だった。 ここに来て、文明は初めてその帰属意識を、人類、もしくは地球、世界に広げる。 

 それを憑かれたように行ったのが、あの米国だったというのが何とも因果に思う。 ベトナム戦争を宇宙から観るつもりが、みんなに宇宙からベトナム戦争をみる機会を与えた。 

 重力という、現代最先端の物理でも扱いあぐねているように見える、この世の根源的しばりを振り切る、月面到達。 西洋近代文明の偉大な到達点と、素直に称えたい。 


参照:
《 アポロ計画というモニュメント 》
http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2010-04-07
《 勝てない戦争 》
http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2008-08-09-1
《 重層的な帰属意識 》
http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2011-05-01


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