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 不愉快という、ババ抜き              [文化の日]



 人の心を踏みにじることは、気持のいい事らしい。 それですっきり、朗らかに毎日を過ごせるらしい。 資本主義、自由主義経済、そして権威主義で優位に立つものが。 不愉快というババ抜きのババを、引けと強いる。 当然のように、手札は全部 ババ だ。 



無条件降伏              [文化の日]



 日本にとっての外国は、長く中国、朝鮮だった。  ルネッサンスをむかえ、ヨーロッパからポルトガル・スペインがやって来た。 覇権はイギリスに移ったが、西回りで日本に先んじたのは、アメリカだった。 世界のパラダイムが植民地主義から帝国主義になり、産業革命が起こり、資本主義が大輪の花を開かせ始めたころだ。 まさにアメリカ流の直球勝負に、日本は上へ下への大騒ぎとなり、明治維新が起こる。 

 帝国主義パラダイムの世界にデビューした日本は、たった何十年かで列強の末席に座る。 やはり列強では後発のロシアに日露で勝利するのだが、これは黄色人として東洋として初の事だった。 いい気になったのかもしれない。 明治維新でつくられた官僚機構は、軍部官僚がだんごになってもろとも第二次大戦に突入する。 これが日本建国以来の危機をもたらした。 都市のど真ん中、市民の日常の頭上に二度も核爆弾を落としたのは、またもアメリカ。

 対米無条件降伏、この意味を現代日本人はよく考え直す必要がある。 日本が初めて、それも完膚なきまでに負けたのだ。 紳士的な占領統治の陰には、何があっても不思議はないのではないか。

 このような因縁により、日本にとってのヨーロッパ、西洋は。 多くアメリカなのだと思う。 経済と、そしてやはりいまだに軍事力だとしてはばからない人たちなのだ。 これに中国がまたホイホイと、おびき出されて土俵にのっかっている。  世界を覆いつくす 閉塞感だ。



参照:
《 紳士的だった占領統治 》
http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2011-04-19-1


日本の貿易              [文化の日]



 少し日本はこれからの貿易のあり方などについても、一家言もつべきではないのか。 では中国流に従うのか? などと。。 米国流でも中国流でもない、日本流があって 何故 まずいのか。 これまで先進国といえば西洋であったが、いまアメリカもヨーロッパもおかしくなっている。 経済を第一義とし、その前には自然を軽んずる。 もう彼らのこれまでのパラダイムでは、世の中まわらないのだ。

 日本は、東洋、黄色人種として初めて近代世界で先進国の仲間入りを果たした。 ここ二百年ほどは、中国も目ではなかった。 天がなぜ日本にこの役を与えたのか。 外方向性知的好奇心の成果を積み重ねた、西洋近代科学テクノロジー。 これを受け継ぎ、東洋の先駆者として 1969 年以降の世界を安んずるために我が国はあるのではないのか。 


参照:
《 必要な 貿易 》
http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2010-10-24



ずんどう型の人口構成を、目指す              [文化の日]


 
 生きている事の不思議を思えば、なだらかな二等辺三角形になるのだろうが。 理想、目指すべきはずんどう型の人口構成なのだと思う。 高齢者の多い頭でっかちな人口構成はおかしいし、逆もおかしい。 日本の例で言えることは、戦争がバイアスをかけた。 

 いくつになっても、社会と関わりを持ち貢献する。 自分の足で立ち、行動する。 明晰な意識を持ち、よどみなく話す。 ただ心臓が動いているのではなく、この状態をいかに死の直前までもたらすかに日本は、国家のプロジェクトとして取り組むべきではないか。



参照:
《 日本の道、其の 一 。 》
http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2011-01-13


 西に進む              [文化の日]


 少し昔のこと、インドの富豪が 「 文明は西へ進む。 インドに発し西に回り。 白人を経て日本に達し。 またインドに戻る。 」 こう話していたと聞いた。 東京が西に中心を移しているのをみて、妙に納得したものだった。

 しかし、仏教は圧倒的に東へ進んだ。 その果てが日本なのであり、西の端は 東の端。 日本がその出くわす場所なのだと、思う。 



Sophisticate              [文化の日]


  西部邁 的に言えば sophisticate (ソフィスティケイト) というのは、古くギリシャに発する 「詭弁法」 の意味が第一義であるという。 理屈をこねくり回すという事らしい。 

 ギリシャ、ローマと。 地中海に発し、アルファベットでこのこねくり回す頭の中を表現してきた、西洋文明。 外方向性知的好奇心、自然科学というものはガリレオ、ニュートンと来て。 遂にアインシュタインに達した。 彼らは圧倒的にそれに優れていた。

インドであれ、地中海であれ 中国であれ。 どこから見てもその文明波及の東の限界は、日本だった。 これが白人を経て、真っ白。 アルファベットで培われた、西回りの文明と出くわす。 明治維新だ。 正面玄関から入って来たのは、鯨漁に精を出していたアメリカ。 

 先進国ならやって来たことを、少し遅れて大々的にやった日本。 当時の日本人に、東洋として黄色人として初めて sophisticate された近代科学テクノロジー革命に加わったという意識がどれだけあっただろう。 明治維新は大変な成果をあげたが、対米戦争の結末を見ても、それは明らかに不完全であった。 維新はまだ完遂していないのだ。 東の端の日本は、西回りでアメリカによってもたらされた西洋文明をしっかりと受けとめ、東洋のみならず世界の先駆者として、維新の完遂を いまこそ目指す。 まず、公のあり方を 正すべし。 


法人格              [文化の日]


 人格といった場合の、格。 これは内面とそれがなす振る舞いによって、現される。 この格は、人間によって組織された例えば会社、企業などにも宿る。 法のみが、これらを縛る。 法人と呼ばれるゆえんかと思う。 



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近代科学テクノロジーと明治維新              [文化の日]


 幕藩体制、江戸時代までは当時 国と呼びならわしていた藩の連合国であり、そのトップが徳川家、江戸の中央政府だったと言える。 その日本が、人類有史以来最大の。 近代科学テクノロジーの大変革に際し、その藩の中から。 しかも下級の武士を中心として、同時多発的にわき起こったのが。 明治維新だったと思う。 

 近代科学テクノロジーとの遭遇については、不完全だった。 当然のことだ。 先を行っていた白人の世界が、そもそも不完全だったからだ。 しかも、それを恥じる必要もない。 象徴的に言えば、1969 年を境に。 人類は新たな段階に突入した。 それまでは、それでよかったのだと思う。

 我々、日本人は。 選択の余地がない。 知っていて何もしないのは、与えられた地位が高ければ高いほど。 罪深いものだと考える。 自然を敬う神道の心。 物事の道理を、理知的に深いとらえ方をしようとする仏教。 それに明治維新で手に入れた、近代科学テクノロジー。 
 これら合わせて、いまの世の中のありようについて意見の一つも持てないのは、日本人として恥ずかしい。 

 市民の日常への原爆投下まで行き着いて、麻薬のように手に入れた消費社会の中で。 あなたはどんな意見を、お持ちなのか。 強く問われている。 目指すべきは、維新の完遂なのだ。 国のありようを、だだす。 



手を汚し、汗をかく              [文化の日]


 自分に重要な何かが進行しているとき、所在なく何かしているふりをするような事は。 ないほうがいい。

 指示をする側と、それをやる側。 現場、現業というものが軽んじられてはならないと思う。 指示をする側は組織の力を背景にして、手を汚さず汗をかかず。 組織の理屈で出世する。 この現存するいびつな資本主義は、組織を野放しにしている点で。 救いがない。 



 平成の鎖国              [文化の日]


 平成の開国というのなら、こう返そう。 民族の文化の多様性とは、人と自然との付き合い方の多様性に他ならないと思う。 土着のものだ。 多様性は人類という種の強さにつながるだろう。 我が物顔のグローバリズムは、あやしい。

 絆とは、帰属意識を一にするもの同士にあると思う。 その前提になるのは、同じ感じ方だろう。 これが経済の呪縛から離れた時、大きなことが起こりそうだ。 1969 年を多感な時期で過ごした世代を先頭に、くさびのように世界に広がった感覚はすでに世界を平定している。 こんなグローバリゼイションなら大歓迎だ。

 縄文の時代にも、石器の材料である黒曜石は千km単位で移動と取引されていたそうだ。 現代の黒曜石は何かを見極めて、それをどこにも届くようにする。 生鮮食料品まで貿易しようとするのは、人のおごりではないか。 

 こののち民族、文化の多様性は。 鍵になっていくような気がしている。 明治維新が開国であれば、その完遂に必要なのは鎖国のベクトルではないかと。 それが人類、世界、地球に対する帰属意識のもとで成されれば、わるくない。



 無差別級の経済              [文化の日]


 体重別に分けて戦うのではなく、あらゆる選手を受け入れる 無差別級。 ビルボード ( Billboard ) でいえば、Latin や Jazz のチャートでなく、ただ Billboard Top 100 chart 。 

 経済チャートが世界チャートを乗っ取っている。 軍事もまた経済だ。 戦わずして勝つには経済、ということなのだと思う。 国、または organization 格 が国益やら営利追求で血道をあげるというポスト近代が、想像できない。



ブラックボックス Black Box             [文化の日]


 トポロジーあたりと同じ頃、ブラックボックスの概念が言われるようになって来たように思う。 中身は分からないがインプットとアウトプットがあり、現実界で役割を担う。 Organization 格 というのは、ブラックボックスの際たるものであり。 人が知らずに有機体の一構成要素になっている不気味さを思うべきだ。 

 人はそもそも独立した、ひとつの Organization 格 である。 人に限らない。 生命体というのはそういうものだ。 これを見えない 法人、組織 というやつが束ねて。 格 としての行動を許しているのが、現代社会だ。 グローバルで、自由で。 市場、相場に全てを委ねている。 これが、タレスにはじまるギリシャ。 ヨーロッパ、白人。 西洋、キリスト教の最終回答だと言うのなら。 反論せざるを、得ない。 

 組織という ブラックボックスに。 ポスト近代の人類は、もっと目を見開かなくてはならない。



英語 English              [文化の日]


 英語は。 東大に入るのに、必須。 基地で働くのにも、必須だ。 我が日本を初めて叩きのめした、アメリカ。 幕末から維新にかけても、実はアメリカによる通商の求め。 英語は、そのアメリカの言葉としてのイメージが強い。 我々はアメリカを通して、ヨーロッパを見ている。 

 英語とは、イギリスの言葉である。 アメリカの旧 宗主国であった イギリス。 グリニッジ標準時を定め、母国語をこれだけ広めた。 その向こうに、西洋全体があるのなら。 日本から、本当のグローバリゼイションとはどんなものなのか。 静かに語りかけていきたい。 



 性衝動と文化              [文化の日]


 食衝動は太るだけだろうが、性衝動は相手があるだけにやっかいなものだ。 現代の先進国で普通の暮らしをすることは、昔で言えば 貴族 の生活をしているのではないか。 みな、光源氏さまだ。 その中に、ゲテモノ趣味で珍奇好きな連中が居るという。 民族の持つ文化が、これを御してきたはずだと思う。 


《 大なり小なり、 貴族 。 》
http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2010-07-30


 数学              [文化の日]


 数学の起源は、やはりギリシャだろうか。 幾何学からも初まっているようで、興味深い。 代数学はアルジブラとかで、アラビア数字などとも言うし。 メソポタミアではそれより古く、六十進法が使われそれが現在の時間における単位や方位角度の三百六十度のもとにもなった、と聞く。 またゼロの発見は、インドだとも聞く。 こちらから見れば、すべてインドアーリア系などと称される、西洋の話だ。

 東洋にも算数があったが、ここに関してまず西側の優位があった。 外方向性知的好奇心の成果で、この属性として書き記して次の代の者が最高点から始められるものの際たるものだと思う。 近代科学テクノロジーの礎には、数学がある。 



 次世代に伝えていく。              [文化の日]


 人類の発展とは、次世代に伝えていく事で成り立っている。 記することで完全に次世代に伝えられる、数学。 実験や形にする事が求められる、近代科学テクノロジー。 ここに、数学よりもどれ程も古い 職人、匠の技 がそれを支えて、現在があるような気がする。 

 我々はこの中で、先代が生きていて。 のみならず、全盛の技を繰り出すうちに。 それをライブで間近で見る。 そうでなくては伝えられないものをこそ、大事にすべきではないのか。 



ゲーム理論              [文化の日]


 あらゆるものを数値、ポイント化し。 あるルールのなかで競う。 これをゲームという。 世の中の事象をこうして損得でとらえると、ゲーム理論というのが出てくるらしい。 

 そのゲームでポイントになるのは、金 そのものだ。 近代末期は、経済の血液といわれる金融経済でパンパンに膨らんだ風船。 血で充満した、不気味な風船。  どこかすりむいたら、すぐおびただしい出血をする。 こんな気持ちの悪い風船人間が、現在の近代世界経済というものである。  


《 風船人間 》
http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2011-02-09


 政治 と 哲学              [文化の日]


 Organization 格 によるゲーム。 金を競い、その上 余興で血みどろの殴り合いまでする。 国と言うものが最強の Organization 格 なら、作法と言うものがあるだろう。 金を唯一のポイントとする、経済。 その経済を使って人殺しをする、軍事。 政治は、刻一刻と変化するこれら への判断が求められる。 何時なのか、と言うことが決定的になる。

 これに対し、人の内側に向かった好奇心。 内方向性知的好奇心は、時に左右されない 普遍 を求めた。 人が居る限り、という事で。 時ならず、空間も超えている。 哲学だ。 

 ポスト近代において、哲学のない政治はいただけない。 いただけない国だらけだからこそ、我々はこのような閉塞感をもつのだろう。 経済でも軍備でもなく、哲学を競ったらいい。    



 電磁波データ              [文化の日]


 これをごく短い波長のあたりで、我々に視覚としてもたらすのが、光だ。 メディアを支える放送、無線も電波という電磁波による。 近代に入り人類は電磁波と不思議な付き合いを始めたが、 太陽 月 火 、光だけは太古から デコーダ 無しのこの世についての情報を、無尽蔵に届ける。 



 人事              [文化の日]


 なんらかの Organization 格 が無ければ、出世というのは無いだろう。 少なくとも、その Organization 格 のあり方について 意見 をする。 こんな立場に立つのが、本来の 出世 と言うものだと思う。 一個人という最小の Organization 格 として、どう考えるのか。 

 この出世を司る 人事 が、人の手にあらなければならない。 経済至上、効率至上のポイントとルールでゲームが続けられるのなら、おそらく永遠に人事は人の手に返らないだろう。 ゲームのポイントとルールを、あらためるべきなのだ。


《 Organization 格 と 出世 》
http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2011-04-23


有史以来の、素粒子論と地震学              [文化の日]


 有史、という言い方がある。 世界的に見ても数千年、日本は二千年足らずの事だ。 人がその外的世界に作り出した最大の発明と言っていい、文字。 これにより書き記す、という事がはじまってからの年数をいう。 

 人の外側に広がる世界、自然界には。 下手をすれば一秒間に数兆回も起こるような現象もあれば、万年単位の現象もある。 我々の外側に広がっている世界を見極めると言うことでは、地震などは最もやっかいなものだろう。 日本の歴史二千年のうちでも、何回かしか起こっていない地震。 これに、西暦2011年の日本は襲われた。

 二十世紀初頭にはすでにあった素粒子論と、現在の地震についての科学的知見の差を思わずにいられない。 いくらでも現象を確認できるものと、千年単位に一度のものとを一緒にしてはいけない。 この二つの交差点が、福島原発事故だった。 これがこの日本で現代 起こったということは、明らかに天からのメッセージである。 



 近代科学テクノロジーは、組織の為にあるべからず。          [文化の日]


 かえす返すも、二十世紀初頭の物理における新たなルネサンスは凄まじい。 アインシュタインを初めとして多くの物理学者が、聖人のように思えてしまう。 しかしこれはある意味醜悪な、二十世紀の国という Organization 格 により、核というやっかいなものに辿り着いた。 あっという間に。 そしてこれは、人の驕りを招いた。 

 謙虚になるべしと、福島の原発事故は起こったのだと思う。 観測も実験もままならない地震について、知った風な事を語って原子力発電をする。 基幹電力だそうだ。 Organization 格 によるハチャメチャの二十世紀が終わり、その残像を引きずる現在。 国や企業、あらゆる組織について真剣に目を向けないとまずい。   



 アヘン戦争              [文化の日]


 清中国 対 英国、1840-42 年。 数千年の歴史を誇る中華は、ギリシャ発の西側の覇者に敗れた。 明治維新の四半世紀程、前の事だ。 グリニッジから見てどれだけ遠かったかが、日本との運命の差を決定付けているように思う。 日本はこれを見て備える時間がかろうじてあった。 

 西側からもたらされた科学テクノロジー、産業革命。 それを支える、ノーベルに賞される 近代科学。 この 近代 に対して、張本人である西側はいかなる答えを出したのか。 中国はいま、アヘン戦争のころそのままの強い国であろうとすることが、失敬ながら滑稽なのだ。 東側の答えは、日本にある。   


参照:
《 西を受け入れる、東 》
http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2012-02-03


天文と暦              [文化の日]


 人の外側に広がる世界、自然界。 人はまず天体の動きが、気になった。 夏至や冬至を定め、暦として使う。 古代において、天文と暦とは ほぼ同義であったのではないか。 まず 太陽、そして月の運行について。 人が数をかぞえ始め、それを記録するようになったころ。 原始の天文は始まったのだと思う。  

 棒を立て、影の長さを見る。 明らかに規則性がある。 地球の公転周期がまた、ちょうどいい。 数える、記録する。 月が明るい。 月の三十は、もう知っている。

  

オーソドックスと個性              [文化の日]


 ピカソは、その初期の段階で非常に緻密なデッサンをしていた。 当時の写実的な油絵を見て、驚愕した記憶がある。 その後、我々が知るあのわけの分からない ピカソ になる。 

 個性、という言葉を思う。 オーソドックスを極めての個性というのは、とてつもないのだろう。 


印象派と写真:
《 たとえば写真 》
http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2010-02-22


 哲学者 と 哲学学者              [文化の日]


 哲学とよく言う。

 哲学者と哲学学者を、混同してはならない。 

 前者は音楽で言えばバッハやモーツアルトの楽聖であり、

 後者は単に楽理を極めた者である。
   


文化 と 哲学              [文化の日]


 文化はある意味、原始的な哲学さえ有すれば社会的地位を得ることを保証した。 文化は伝統であり、それを壊す以上は。 哲学を網羅的にかさ上しなくてはならない。 現代は、伝統文化を捨てる代わりに。 それに見合う、哲学を手に入れなければならない。 哲学とは、哲学学者の占有物でなく。 ひとかどの市井の者であれば誰でも持ち得るものでなければ、日本だけでなく、人類社会の未来が無いと思う。


《 哲学者 と 哲学学者 》
http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2012-07-10


物欲と断捨離              [文化の日]


 断捨離とは、断、捨、離。 それぞれの人の物に対する心の在り方を表している。 捨も離もいいが、必要の無いものをこの世の自らの物質的ブラックボックスに入れない、断 に尽きるのではないか。 

 断に対して、経済が挑んでいるのが現代というものだ。 ここで負けていては、捨も離も経済の思うつぼだ。 物欲は経済の思うままとなり、俗性は仏性を常に凌駕する。 

from Wikipedia
 断: 入ってくる要らない物を断つ
 捨: 家にずっとある要らない物を捨てる 
 離: 物への執着から離れる





 飛行              [文化の日]


 移動手段としての飛行を考えるなら、気球(飛行船)は除いていいのではないかと思う。 プロペラ飛行機からの話だ。 F-1 は、ウイングで抑えないと飛んでしまうというから。 時速でいえば 300 キロメートル毎時 前後が得られれば、車ほどの重さのものでも飛ぶと言う事のようで。 産業革命後のピストン運動を回転にして利用する内燃機関によるプロペラ、レシプロの時代、飛行機の時代がこのあたりの速度を出して飛び始めた。 二十世紀初頭のことだ。 

 ジェットとロケットの違いは空気の無い真空で飛べるかどうかのようで、これにタービンが加わって今のジェットエンジンというものがある。 これらが開発されたのが、≪ 核 との因縁 ≫ http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2011-04-08-1 で述べた 1930 年代だったと言う事に感慨を持つ。 ジェットは地球上での移動を、宇宙ではロケットという時代に入る。 

 ジェットは地上十㎞ほど、ロケットによって到達している高さは東京・大阪間を立てにした距離に満たない。 地球儀で見れば、地球の周りを皮一枚といった感を持つ。 あの、アポロを除いては。 

     1969 年 ジャンボジェット、コンコルドが初飛行し、アポロは月に行った。



参照:
≪ アポロ計画というモニュメント ≫
http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2010-04-07



維新と捕鯨、ポスト近代。              [文化の日]


 維新のきっかけが、当時 捕鯨を積極的に行っていた米国が日本を物資の供給基地として求めた為、という説がある。 広い太平洋を遥々来たら、食糧やら何やら、その補給の為の基地を手に入れれば、行ける距離が倍になる。 とうとうそれが太平洋の西の端、日本まで来て明治維新が始まったという訳だ。 機械油と灯油(ランプの明かり)に用いる鯨油を好きに手に入れる為だけに、捕鯨が行われていたと聞く。 ヒゲがコルセットになどという話もあるが、彼らの大好きなはずの肉はすべて捨てている。 一方、伝統的な日本の捕鯨文化は、クジラの体中を利用し尽くす徹底したものだと聞いている。 この差が、近代の やばさ なのだ。 これは、まぎれもなく西から来ている。

 近代に対して、東からの答えを返す。 これが我が日本に与えられた、役目である。 人類、地球、世界といったところに帰属意識を持って、一度 近代というものを総括し。 ポスト近代に向かう。 


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