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ウイルス / Virus              [文化の日]


 微生物を目で見る事が出来るようになったのは、顕微鏡が出来てからで。 生物で最も原始的な、単細胞生物がその限界だった。 細菌はそこに含まれる。 顕微鏡とは、光学式の顕微鏡のことだ。

 1930 年代になって、電子顕微鏡が現れた。 ここで初めて我々は、ウイルスを目にする。 白黒ながら、解像度抜群の革命児だ。 遺伝子を有機体としてならしむ構造を持った単細胞生物としての細菌とは、桁違いに小さな。 遺伝子だけを、狡猾な殻で包んだ。 宿主に感染する事のみで生物的存在となる、情報だけの塊だ。 


ポスト近代こそが、 近代 。              [文化の日]


 大陸間弾道核弾頭ミサイルをお互いに向けあって、国と言う Organization 格 が対峙する。 そこに、北朝鮮あたりが入ってくる。 中国にしろ、近代でのありようは。 まるで、そこに至る過程でこうむった落し前 のように見える。 

 ポスト近代などと言われるものこそが、近代であり。 これまでの近代というのは、それへの序曲だろう。


国を Organization 格 たらしめる、行政府          [文化の日]


 Organization 格 である事そのものに価値があるというのが 国 で、宗教やスポーツなどなど、横軸でまとまる組織を圧倒している。  国の礎は、しかし民族であり、文化である。  行政府を、民族その文化がどう御していくのか。  ポスト近代の、要になりそうだ。  文化や民族のあり方を言うのであり、むしろ文化は多様なほど、人類として強い。


人前で端末をいじる              [文化の日]


 近代の置き土産といっていいこの携帯、スマホ。 通信端末をいじると言う事は、目の前に居る人より優先すべき相手が携帯の向こうに居ると言う事で。 半径数メートルの人が会話出来る 場 において、失礼な行為だ。 光の速度で動く通信も、人の体をそこに持っては行かない。 この違いを知ることが、近代からポスト近代への鍵になるのだろう。 

 スマホを人の性器に例えれば、人前でそういじるものではない。


参照:
≪ 会話と場 ≫
http://bunkanohi.blog.so-net.ne.jp/2012-01-02


洗濯              [文化の日]


 人の境界に存在する、衣類。  これをリニューアルする、洗濯。  近代革命前の人が手でおこなっていた時代を思い、感謝する。  電気洗濯機は、人の労役を軽くした。  これはかつて、女性の手によってなされていた。  ここが大幅に軽減された。 女性の社会進出。  共働きや一人世帯などと、簡単には言えなかっただろう。 



 はた織り機              [文化の日]


 そもそも布地を織り上げる手動の機械を、機(はた) と呼んでいた。 衣服も道具に含めれば、人がその外側の世界にあるものを、内的世界の求めに応じて利用する根源的なもので。 機械の元祖として、秦(はた)は石器と同等の歴史があるのだろう。

 永く手動の時代が続き、産業革命により動力化される。 蒸気機関の利用から始まった今に続く革命は、エネルギーの革命だった。 べき乗則という言葉が思い浮かぶ、急激な上昇カーブ。 いまなにが突っ走り、なにが停滞しているのか。 我々は見極める必要がある。

追記:
 機(はたおり)には、音があったはずだ。 手動の機織り機は、きっとクラシックのようなタイムで。 蒸気機関は、バウンスビート (Bounce beat) Jazz を感じる。 いま、制御信号はテクノミュージックのようなタイムを出しているだろう。


 乱暴な嵐              [文化の日]


 ゲリラ豪雨やら 竜巻 やら、 雨の嵐に続いて。  雪の嵐 が襲いかかる。  冬の雪の世界でも、前代未聞の事が起こっている。  異常気象。  これが人類の活動によって地球大気組成に影響を及ぼし、その結果でなければ幸いだ。  有史においては異常、という事であれば。  有史によって培われた科学は、真摯に向き合うべきではないか。  ここに費やされるのは、真の防衛費と言っていいだろう。  人の帰属意識が 国 にとどまっていては、これは成されない。


≪ 重層的な帰属意識 ≫
http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2011-05-01

≪ とが ≫
http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2008-07-29


 イスラム              [文化の日]


 イスラムは 回教 とも呼ばれ、 日本人にとっては何か分からないものだった。 種子島には宣教師が大航海時代から入り込み、宗教改革を経てアメリカに占領された身からすれば、 キリスト教には親しみがある。 しかし回教は、砂漠の妙な宗教だった。

 仏教が釈迦、キリスト教がイエス、 イスラム は ムハンマドである。 モハメットともよまれる。 聖徳太子と同じころ、アラビア半島にいた人物で。 仏教でいえば、玄奘三蔵の時代になる。 お経、聖書にあたるものは コーラン とよばれる。 ムハンマドの言葉とされ、ながく 口伝 で伝えられたそうだ。 それが書物にすることが許され、こんにちでは何か国語にもそれが訳されている。 コーランにはイエスもモーゼも出てくるし、十字軍がエルサレムを争ったように、キリスト教、ユダヤ教とイスラム教は近しい。 

 釈迦、イエスと同じく、マホメットは偶像崇拝を禁じ。 これを全宗派がいまも禁じているのは、見上げたものだ。 近親のキリスト教は、宗教改革でプロテスタントが出て偶像崇拝を禁じた。 プロテスタントは英国、米国と受け継がれたが。 そことイスラムの怒りの琴線が、大きな争いをおこす。 テロはやめてほしい。 同等の事をこちらはやられているんだ、と言うなら。 ポスト近代の住民は、よく聞き理解に努めたい。  イスラムについて偏見を持つのは、よくないし失礼だ。



 全体主義と民主主義              [文化の日]


 二十世紀、国という Organization 格 が、近代科学テクノロジーによる軍事で雌雄を決した時代があった。 最終解決手段として軍事が機能し、なかなか容易に各国はこれを行使した。  ここで圧倒的な覇権を確立したのは、アメリカだった。  アメリカはいわばイギリス、ヨーロッパが西に作り出した資本主義の権化で、同じく東に作り出した共産主義の権化、ソビエトと好対照をなす。

 軍事は経済なくしてあり得ず、軍事で他国の経済を我がものにするかどうかの違いがあるだけだ。 軍事と経済が分かれ始めたのは1945 年 原爆が投下された時点と考えるが、ベトナム戦争でこれははっきりとした。  アメリカは勝てなかった。  人類は軍事に関しては明らかに違う段階に入っていることを、事実が示している。

 世紀末になって、ソビエトは崩壊した。 アメリカには資本主義の共産主義に対する勝利と映ったろうが、これはただ独裁・全体主義体制に対する民主的体制の勝利で。 経済が正真正銘の無差別級になった。  企業という Organization 格 が出てくる。  金融市場が肥大する。  民主主義の敵は、経済なのだろうか。



 黒曜石とスパイスの貿易              [文化の日]


 その時代の黒曜石、スパイスを。 大陸を越えて海を越えて人が共有するのは、人のあるべき姿だ。 これだけの高みに立った人類なのだから、どれが黒曜石かスパイスか、しっかり見極めるべきだろう。  生鮮食料に、その資格があるのか。 

 自然からいただいたものを、組織による加工と流通でやり取りするのは。 産業革命後の検証が、よく済んでからまっとうなものになる。  1969 年をさかいにして、近代テクノロジーにのって我々が行っている事に疑問を持つべきだ。 


 Household and English              [文化の日]


 世帯 (household) というのがあって、これを考えるに。  一人、二人、三人もしくはそれ以上、というのがあり。  奇妙に英語の一人称、二人称、三人称とダブる。   同じ世帯に属するとは、家計を共にすると他ならない。  金銭感覚というのが如何に夫婦にとって大切か、想像する。 

 理不尽 と 不合理              [文化の日]


 同じ雑誌を同時に何冊も、繰り返し万引きするという元公務員の異常性について、 理不尽 という言葉で説明する弁護士を見た。  不合理であろう。  広辞苑に何とのっているか知らないが、理不尽 と 不合理 はこう使い分けていただきたい。 

 文化は物差し – 対等と出世              [文化の日]


 人はそれぞれ、対等である。  憲法にそう書けばいいい。  どこがどう対等なのかを決めるのは、民族固有の文化である。 そもそも Reality (現実) において、人が対等のわけがない。  しかしその基礎の部分で少なからず対等の部分がある、 というのが近代においてかろうじて我々がたどりついた。  うるわしき部分だ。  そこは、大切にしようではないか。

 文化 とは、人の元来持つ 対等 な部分と、 社会による 出世 の境界線を画す 物差し である。



 与えられた 眼鏡              [文化の日]


 人間、長生きすればいつかは必ず 眼鏡 の世話になるものだと思う。 光学 の話で、これが無かった長い時代を。 いま思う。  光の屈折学、である 光学 は。 ガリレオ、ニュートンに少し先んじて、与えられている。 


 テーブルマナー – 所作、作法              [文化の日]


 食べる事は、そもそも いやしい。  人様の命を戴いて、快感まで得る。  だからこれをいかに いやしく 見せないかに腐心したのが、 テーブルマナーというものだろう。 

 見えないいやしさに浸り込んだ者が、みな表向き非のうちどころのない テーブルマナー を持ち備えている。  これを 末法 というのではないか。  現実は常に極と極の中間にあるが、今どちらの極に近いだろう。  人間なんてそんなものと言う、 子供なんてそんなものと言うに等しい。 



 イスラムの酒              [文化の日]


 酒の境地も、捨てがたい。 こちらは お上 が酒を認めているが、イスラムではこれを禁じ。 ホメイニ は、 ハシシ は身を清めると言った。   どちらかを選ばなくてはならないような 地球幼年期 は、早く終わりにしたいものだ。 


 科学脳を包括する、哲学脳              [文化の日]


 産業革命以降、今日までの社会変革を 近代科学テクノロジー革命と称したい。 人類を一つの体ととらえれば手足とその五感を、人の体の外に科学で作り出したサイボーグ技術で飛躍的に発展させたのが現代だろう。 頭の一部も、科学脳というところではいい線をいっている。 

 知り得たことで判断し、手足が出来る事のおもむくままにせず、むさぼらない。 日本では縄文の時代に常識だった。  人の頭が重くなり、一度でんぐり返った 哲学脳 が求められる。


カトリックとプロテスタント、偶像崇拝とイスラム          [文化の日]


 日本が長崎で相手にしたのは、まずポルトガル、ザビエルのスペイン。 ルネサンス後のヨーロッパの隆盛が、鉄砲とキリスト教になってやって来た。 あちらから見れば、宗教革命、プロテスタント革命の直後である。 続いて日本が相手にしたオランダ、幕末のイギリス、そしてアメリカは。 総じてプロテスタントである事を、興味深く思う。

 免罪符あたりを大金で取引していたというようなキリスト教界に対し立ち向かった宗教革命 プロテスタント には、共感するところがある。 昭和三十年代の質素な民家を使った、マリア像の無い教会を思い出す。 金満聖職者を告発するなら誰でもできるだろうが、偶像崇拝の禁止をその存在理由にする。 釈迦もイエスもムハンマドも禁じた偶像崇拝、これを今も厳に禁じているのは プロテスタント と、イスラムだ。 

 このイスラムとプロテスタントの国が激しく血を流し合うのは、不思議だ。 共産主義と資本主義ではない。 偶像崇拝の禁止という、見上げたところで一致している両者が ここまで対立するのは、双方の宗教者にとって見過ごすことのできないはずの事だ。 

 造り物の宗教的な像に有り難く手を合わせ、拝む。 かろうじてこれをやっていなくとも、しかし偶像が社会で大いに幅を利かす。 資本主義社会、メディア社会。 プロテスタントの国々が主導してもたらしたようにも見える。  ひいては、物質の世界と精神の世界を明確に区別してとらえる感性の問題に繋がる。 


追記:
もとより神道、仏教の影響が社会的に強い日本では、こんにちカトリックとプロテスタントはそれなりの範囲で拮抗した状態である。 


癌とチンパンジー – 性の営み              [文化の日]


 癌は、恐竜の時代にも見られた古い病気だと言う。 だから、どんな動物でも癌になるのだろうと思う。 よく言われるように、生物進化の過程で直近のせいぜい何百万年前の単位で最後に人間が分かれたのが、チンパンジーだ。 遺伝子で見ると、全体の一%しか違わない。 しかし、あらゆる意味で 人類 という種は、他の生物と決定的に違う。 

 チンパンジーと人の癌死亡率は、十倍ほど違うらしい。 猿の雌は性器を膨らませて発情期を知らせ、雄の精子をつくる細胞は適度に死滅させられていた。 それが人間の精母細胞では、無限に増え続けるものに劇的に変化したと言う。 無限に増殖する癌細胞は、人の精母細胞のメカニズムと同じだ。 その微細な遺伝子変化が、人の性の部分をこのようなものにした。 一年中、発情期なのである。 もはや白日のもとに性器を晒して示すようなものではない。

 時間を思う。 女性の方に排卵という妊娠可能期間のサイクルがある事を思うに、月経の名のごとく、月に導かれて生殖があっただろう。  しかし妊娠可能と性行為可能とは違う、男性は常に二、三日もすれば満杯だから。 ボノボのような人類社会も、肉体的には可能だ。

 地球の癌細胞と人類が言われないためには、女性の役目は大きいのではないか。 どんな男性を好み評価し、性的に受け入れるかで世界は変わる。



五円一円と、紙幣。 経済をなめるな。          [文化の日]


 日本では一万円札、五千円札、二千円札(少ない)、千円札、ここまでが紙幣で。 五百円、百円、五十円、十円、そして五円、一円が貨幣として流通している。 現金でのやり取りでは、この紙幣と貨幣、日本のお金、円が流通している。 

 貨幣は、かつてはローマの金貨や日本の小判など、貴金属としての市場流通価値と変わらない価値として取引されていた。 この限界は、銀ではないかと思う。 金、銀、銅。 銅、いかに。 ニッケル、スズ、亜鉛の混ぜ物、古来からの青銅、さらに耳慣れない黄銅、白銅。 そして、アルミニュウム。  ここらへんになると、どうだろうか。  経済活動についての対価に、そこまでの精度が必要なのか。

 紙幣、なにおかいわんや。 輪転機でどんどん刷ればいいとは、経済を なめている 。 


追記:
宝石や貴金属は、骨董品などと比べても圧倒的な分かりやすさで、いくら?なのか伝える。 この現実の中の現実、物質界の普遍性の中で存在するものと。 ただの紙切れや、デジタルデーターとしての数字は、単位を分けるべきものだ。 マネーゲームで脹らんだ数字と、宝石、貴金属に与えられる数字が等しいのはおかしい。 経済を尊重するのなら、むしろ金融ゲームなどというのは、あり得べからざる。


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