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五円一円と、紙幣。 経済をなめるな。          [文化の日]


 日本では一万円札、五千円札、二千円札(少ない)、千円札、ここまでが紙幣で。 五百円、百円、五十円、十円、そして五円、一円が貨幣として流通している。 現金でのやり取りでは、この紙幣と貨幣、日本のお金、円が流通している。 

 貨幣は、かつてはローマの金貨や日本の小判など、貴金属としての市場流通価値と変わらない価値として取引されていた。 この限界は、銀ではないかと思う。 金、銀、銅。 銅、いかに。 ニッケル、スズ、亜鉛の混ぜ物、古来からの青銅、さらに耳慣れない黄銅、白銅。 そして、アルミニュウム。  ここらへんになると、どうだろうか。  経済活動についての対価に、そこまでの精度が必要なのか。

 紙幣、なにおかいわんや。 輪転機でどんどん刷ればいいとは、経済を なめている 。 


追記:
宝石や貴金属は、骨董品などと比べても圧倒的な分かりやすさで、いくら?なのか伝える。 この現実の中の現実、物質界の普遍性の中で存在するものと。 ただの紙切れや、デジタルデーターとしての数字は、単位を分けるべきものだ。 マネーゲームで脹らんだ数字と、宝石、貴金属に与えられる数字が等しいのはおかしい。 経済を尊重するのなら、むしろ金融ゲームなどというのは、あり得べからざる。


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