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第二の アトミック・ボム →  テレビ              [文化の日]



 日本のテレビメディアは 昭和28年(1953年)NHK が、また民放は同年半年ほど遅れて視聴料を取らずCM収入で商業として成り立つ形で、開放された。 GHQ 統治の終わった翌年からのことだ。 ここまでの慧眼をお持ちだったか定かではないが、米国の高官もしくは識者が TV メディアは第二のアトミックボムだと発言したと聞いた記憶がある。 以来、日本人の属性にもスポンとはまって、独特の形で大きくなったのが、在京および幾つかの在阪キー局と言える。

 むし返すが、ナチスでも解体されたと聞く戦時御用新聞メディアが、日本では臆面もなく看板そのままで戦後も存続した。 天皇、官僚機構(except 海軍省、陸軍省)、そして新聞メディアが、残された。 占領政策によってと、言っていいと思う。 その大新聞メディアがそれぞれ、全国ネットのTVメディアを持ちだした。 やがてTVメディアの方が大きくなり牧民は大成功したかに思われたが、インターネットの出現で、また不思議なことに天災もきっかけとなって。 思惑通りにも行かなくなっている。



参照:
《 敗戦とメディア 》
http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2009-05-08




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