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 西に進む              [文化の日]


 少し昔のこと、インドの富豪が 「 文明は西へ進む。 インドに発し西に回り。 白人を経て日本に達し。 またインドに戻る。 」 こう話していたと聞いた。 東京が西に中心を移しているのをみて、妙に納得したものだった。

 しかし、仏教は圧倒的に東へ進んだ。 その果てが日本なのであり、西の端は 東の端。 日本がその出くわす場所なのだと、思う。 



Sophisticate              [文化の日]


  西部邁 的に言えば sophisticate (ソフィスティケイト) というのは、古くギリシャに発する 「詭弁法」 の意味が第一義であるという。 理屈をこねくり回すという事らしい。 

 ギリシャ、ローマと。 地中海に発し、アルファベットでこのこねくり回す頭の中を表現してきた、西洋文明。 外方向性知的好奇心、自然科学というものはガリレオ、ニュートンと来て。 遂にアインシュタインに達した。 彼らは圧倒的にそれに優れていた。

インドであれ、地中海であれ 中国であれ。 どこから見てもその文明波及の東の限界は、日本だった。 これが白人を経て、真っ白。 アルファベットで培われた、西回りの文明と出くわす。 明治維新だ。 正面玄関から入って来たのは、鯨漁に精を出していたアメリカ。 

 先進国ならやって来たことを、少し遅れて大々的にやった日本。 当時の日本人に、東洋として黄色人として初めて sophisticate された近代科学テクノロジー革命に加わったという意識がどれだけあっただろう。 明治維新は大変な成果をあげたが、対米戦争の結末を見ても、それは明らかに不完全であった。 維新はまだ完遂していないのだ。 東の端の日本は、西回りでアメリカによってもたらされた西洋文明をしっかりと受けとめ、東洋のみならず世界の先駆者として、維新の完遂を いまこそ目指す。 まず、公のあり方を 正すべし。 


法人格              [文化の日]


 人格といった場合の、格。 これは内面とそれがなす振る舞いによって、現される。 この格は、人間によって組織された例えば会社、企業などにも宿る。 法のみが、これらを縛る。 法人と呼ばれるゆえんかと思う。 



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 しゃくり上げる、女性大臣              [懲戒免職]


 震災復興増税に国民の反応がいま一つなのを受けて霞ヶ関が打ち出した、社会保障。 税収だけを、ばけもののように欲しがる霞ヶ関が、増税の切り札として出してきたのが社会保障というフレーズだ。 これを一手に扱う巨大省庁のトップ、すなわち大臣は女性である。 

 日本最大手の放送メディアでアナウンサーをやっていたという出自のこの大臣、消費税増税に向けて、メディアへの露出も多い。 しゃべりのプロであるはずのこの人物、話が際どいところになればなるほど、息の吸い込みがうっとうしくなる。 まるで 「 幼い子供が泣きながら弁解する時、しゃくり上げながら話すような音 」 を発する。 非常に聞き辛い。 わざとしているのか? 現役アナウンサー時代もこの様なしゃべり方をしていたのか? まさか おんな を武器にしようとしているのではあるまい。 

 この人物も政治家、まして大臣などやっていなければ、上品なおばさまであったであろうものを。 こんな立場に祭り上げられ、省庁、霞ヶ関の操り人形を演じ。 本質的な意味で、恥ずかしい姿をさらしている。 しゃくり上げは、その恥ずかしさゆえか?

 個人攻撃をするつもりはない。 自民政権時代の目玉女性大臣も大同小異だった。 また官僚の操り人形という点で言えば、政権交代しようがしまいが、女性であろうが男性であろうが、変わりはない。 要は、首相官邸の決意だ。 

 なでしこジャパンの活躍に象徴されるように、日本も女性の時代と言われる。 しかしサッチャーやメルケルのような物腰、たたずまいは、まだ日本の女性政治家に感じられない。 



 東京電力の強気          [天成人後]


 東京電力の会見を見るたびに、そのあまりの強気さ加減に、驚く。 今回は、一般家庭の電気料金を 20% 値上げしたいという。 それは権利だ、とも言う。 
 なぜこんな企業のあり方が許されているのか? 多くの方が感じているだろうが、この電力会社というものの別格扱いが、今回の原発事故を通じて強烈な印象として残る。 この電力会社とは、一体何なのか?

 献金や選挙時の協力などによって、ものが言えなくなっている政治。 優良天下り先として互恵関係にある霞が関。 あらゆる物資を言い値で取引してもらっている経済界。 やはり莫大な広告費を受け取り、でん子ちゃんが忘れられないマスコミ。 電力会社は、これら社会の強者を軒並み骨抜きにしている。 
 無邪気にこの構図の中でオール電化などと踊らされていた我々だったが、今回の震災で多大な犠牲と引き換えにやっと気づくきっかけが天より与えられたのだと思うべきだ。 
 
 日本の電力事業は戦前の時点ですでに寡占状態にあり、終戦後 財閥解体や農地解放と同じ理念で占領側によって見直されたらしいが、どのような経緯か結局 占領統治の終わる前年 1951(昭和26) 年に地域独占、発送電一体の現行体制がかたまる。(沖縄を除く9電力会社)
 
 余談ながら。発明王として知られるエジソンだが、世に先駆けて彼は電力事業に取り組み、これに非常に熱心だったと聞く。 またかの国は戦後日本の原子力発電導入にあたって、読売のトップである正力松太郎氏を使い、大々的なキャンペーンで日本人の核アレルギーを取り払ったという。 電力事業、電力会社というのはなかなか あの超大国とゆかりの深いものだと思わせる。



近代科学テクノロジーと明治維新              [文化の日]


 幕藩体制、江戸時代までは当時 国と呼びならわしていた藩の連合国であり、そのトップが徳川家、江戸の中央政府だったと言える。 その日本が、人類有史以来最大の。 近代科学テクノロジーの大変革に際し、その藩の中から。 しかも下級の武士を中心として、同時多発的にわき起こったのが。 明治維新だったと思う。 

 近代科学テクノロジーとの遭遇については、不完全だった。 当然のことだ。 先を行っていた白人の世界が、そもそも不完全だったからだ。 しかも、それを恥じる必要もない。 象徴的に言えば、1969 年を境に。 人類は新たな段階に突入した。 それまでは、それでよかったのだと思う。

 我々、日本人は。 選択の余地がない。 知っていて何もしないのは、与えられた地位が高ければ高いほど。 罪深いものだと考える。 自然を敬う神道の心。 物事の道理を、理知的に深いとらえ方をしようとする仏教。 それに明治維新で手に入れた、近代科学テクノロジー。 
 これら合わせて、いまの世の中のありようについて意見の一つも持てないのは、日本人として恥ずかしい。 

 市民の日常への原爆投下まで行き着いて、麻薬のように手に入れた消費社会の中で。 あなたはどんな意見を、お持ちなのか。 強く問われている。 目指すべきは、維新の完遂なのだ。 国のありようを、だだす。 



 家事と近代              [箱根アフロディーテ]


 家事、これは えらいこと である。 いい歳をして一人暮らしをしてみれば、三日を経ずして思い知るだろう。 炊事、洗濯、洗い物、掃除に風呂。 買い物に支払い、と来る。 世帯を運営するということは、社会的に認められる以上に、たいへんな事だ。 主婦というのは、仕事に換算すれば十万や二十万。 貰って当然な仕事なのだと思う。 

 これに子がいれば、子育ても加わる。 社会の重要な部分も担っている。 女性がここに閉じ込められ理不尽を味わってきたのは、女性の性を社会、民族がどう御するか。 誤解をおそれずに言えば、どう封じ込めるかに民族、つまりは文化がいかに心血を注いだかにも通じるのではないかと思う。

 近代科学テクノロジーは家庭に電化製品をもたらした。 冷蔵庫、洗濯機、掃除機。。。 すでに世帯として、十人や二十人の女中や召使を持っているような我々先進国。 " Occupy Wall Street " で言うところの 1% は、家事負担の軽減をおり込んで女性の社会進出を求めた。 働きたい女性のために門戸を開放、というのは詭弁に思える。 

 科学もテクノロジーも外れて、「 近代 」 という美しくも恐ろしい意志を感じる。 この時代は結局のところ 99% の人々を牧場の牛か馬のように扱い、ごくほんの僅かの人々が神のように振る舞いむさぼり尽くすのを求めたものであったのか? 近代とは 1969年 以降の人類社会をもたらす、セルモーターのようなものではないのか。 



手を汚し、汗をかく              [文化の日]


 自分に重要な何かが進行しているとき、所在なく何かしているふりをするような事は。 ないほうがいい。

 指示をする側と、それをやる側。 現場、現業というものが軽んじられてはならないと思う。 指示をする側は組織の力を背景にして、手を汚さず汗をかかず。 組織の理屈で出世する。 この現存するいびつな資本主義は、組織を野放しにしている点で。 救いがない。 



福島といえば              [おかしな帝王学]


 福島といえば、会津若松。 それとラーメン(喜多方)で有名だったかという。 それぐらいの印象で。 意外に大きく、東北にカテゴライズされてはいるものの、その南端にあり関東に接しているあたりの認識が第一に来る。 失礼ながら誤解をおそれずに言えば 地味な印象の県 だ。 しかし他都道府県の者から見て、日本地図はそんな地味な印象の地域で埋め尽くされている。 
 そこにこの我が日本を牛耳るばけものは、目をつけた。 福島は広島、長崎についで核の洗礼を受けた。 

 地域は、仕事の拠点にならなければならない。  そこでばけものは、仕事を支配しようとするのだ。 つまりは、社会への貢献と金。 この、この世での自身の存在の肯定感に直結するものを。 現代人は、The Organization 格 に牛耳られようとしている。 野放しの組織、企業、法人、The Organization 格 。 
 組織に人が操られてはならない。 なぜならそれらは、黙っていれば自然を軽んじ目先の経済欲だけにとらわれ、人々を牧場の牛か馬のように扱おうとしたがる。

 

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