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 家事と近代              [箱根アフロディーテ]


 家事、これは えらいこと である。 いい歳をして一人暮らしをしてみれば、三日を経ずして思い知るだろう。 炊事、洗濯、洗い物、掃除に風呂。 買い物に支払い、と来る。 世帯を運営するということは、社会的に認められる以上に、たいへんな事だ。 主婦というのは、仕事に換算すれば十万や二十万。 貰って当然な仕事なのだと思う。 

 これに子がいれば、子育ても加わる。 社会の重要な部分も担っている。 女性がここに閉じ込められ理不尽を味わってきたのは、女性の性を社会、民族がどう御するか。 誤解をおそれずに言えば、どう封じ込めるかに民族、つまりは文化がいかに心血を注いだかにも通じるのではないかと思う。

 近代科学テクノロジーは家庭に電化製品をもたらした。 冷蔵庫、洗濯機、掃除機。。。 すでに世帯として、十人や二十人の女中や召使を持っているような我々先進国。 " Occupy Wall Street " で言うところの 1% は、家事負担の軽減をおり込んで女性の社会進出を求めた。 働きたい女性のために門戸を開放、というのは詭弁に思える。 

 科学もテクノロジーも外れて、「 近代 」 という美しくも恐ろしい意志を感じる。 この時代は結局のところ 99% の人々を牧場の牛か馬のように扱い、ごくほんの僅かの人々が神のように振る舞いむさぼり尽くすのを求めたものであったのか? 近代とは 1969年 以降の人類社会をもたらす、セルモーターのようなものではないのか。 



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