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アベレイション - aberration          [おかしな帝王学]


 さて、安倍晋三という常軌を逸した、まさにアベレイション(aberration)というべき政権の実態が、普通の日本人にも目に見える形になってきて、まだ頼りないながらも光明が見えてきたように思う。 

 民主党からの政権奪取から五年余りも経つのに、いまだに民主党政権時代の失敗を虚々実々織り交ぜながら口汚く姑息にもあげつらい、自身を大きく見せることには余念がない。印象操作、印象操作と事あるごとに自分への批判はかわそうとするくせに、敵対する者への印象操作には全力投球で臨む。武士道をはじめとする日本の本来の美学とは正反対の、醜悪な姿だ。これに日本の頭脳ともいえる霞が関や大手広告代理店が万全の態勢で協力を惜しまないというのであれば、日本の暗黒時代には終わりがない。

 官庁の中の官庁と言われる財務省(大蔵)で今回このような大胆な不正がはっきりした以上、これはここにとどまらないと考えるのがまともだろう。みなさん家でゴキブリやネズミを発見して、一匹始末したからこれで終わりと思わないはずだ。安倍政権が行ってきたことは、きっと間違いなくゴキブリやネズミに例えられるほどやっかいで、たちが悪い。

 特定秘密保護法案、安保法案、共謀罪。選挙では景気景気と経済の話に終始し、選挙で勝利するとこれらを強引な形で通してきた。内閣人事局の危険性と同じようにこれらの法案の持つ危険性のポテンシャル、為政者側を性悪説で見つめなおす賢明さが国民に求められている。

 この一年間、安倍政権の持つアベレイションによって国権の最高機関である国会は愚弄され、無駄な時間を費やしてしまった。安倍政権にとって都合よく改ざんされた情報で国会の議論がされ、政権選択の衆議院選挙までなされてしまった。これはクーデターと言っていいのではないか。もはやアベレイション政権に正当性などない。



内閣人事局 ・ 気違いに刃物              [おかしな帝王学]


 2009年の政権交代前、税金の無駄遣いが大いに話題になった。その中心になったのが官僚機構の問題で、このブログでも厳しく批判した。自民党ではこの状況を打開できないだろうと、民主党政権に期待した。その目玉となったのが局長級以上の幹部人事を政治が掌握する、まさに今話題の内閣人事局である。ご存知のように民主党政権は、人事局創設はおろか、政権運営自体が官僚の強烈な抵抗にあって短命に終わった。

 その後、かまびすしく言われていた天下りや渡り、それに伴う税金の無駄遣いに対する批判が不思議と下火になってしまった。ところがそれを忘れた頃の2014年、あろうことか安倍政権のもと内閣人事局が設置された。この最低の政権は税の無駄遣いを監視するツールとしてではなく、自分たちのやりたい放題を通すための道具としてこれを使いだした。官僚の既得権には手を付けず、意のままに動いた者には出世で報いる。逆らった者には地獄を見せる。違うか?

 幹部になれば出世、つまり人事が最大の関心事になるという霞が関官僚はこれでイチコロだった。「官僚主導を脱し国民の選んだ政治主導で」「官僚は選べないが政治家は国民が選ぶのだから」とは、少々無邪気に過ぎた。気違いに刃物、といったら言い過ぎと怒られるだろうか? しかしこのようなナチスばりの最低政権が出てくるとは、想定していなかった。このような顛末になり、見通しの甘さを反省している。

 元々の考え方は間違っているとは思わないが、今回のこの大事件を契機に、官邸に人事を好きにさせることに対する歯止めは十分議論してもらいたいと思う。



国難、安倍日本会議政権          [苔の生すまで]


 今回の森友問題で見えてきたことの一つとして、日本の右翼の問題がある。その中心にいるのが 日本会議 という団体だ。驚くほどの数の政治家が関係し、安倍政権などは日本会議政権と言っていいのではないかと思うようなありさまだ。安倍総理は憲法記念日に、日本会議の集まりで憲法改正について考えを表明した。

 有った事を無かった事とし、都合が悪くなれば平気でかつての仲間を裏切る。 籠池氏と森友問題に対する安倍総理の姿勢を見るにつけ、今の日本で右を称する輩たちのお里が知れてくる。 彼らに日本の誇りを説く資格などあるのか? 日本の恥であり、存在自体が国難ではないのか?



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