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公の猫              [天成人後]


 猫の耳の後ろあたりを掻いてやると、可愛らしいことに猫は自分でそれをする時のように後ろ足で空をかく。  気持ちがいい。  東電は、当たり前だとソファーに寝そべるふてぶてしい血統書付の猫のように、脇も顔の周りもけつの穴も、人に丁寧にやらせる。 

 猫に 刺身 をやり出すと、刺身しか喰わなくなる。  人の責任だ。  ドラキュラ は人の 生き血 しか口にしないと言い、霞が関 は我らの 血税 しか口にしないという。  生きる糧の由来、誰に飼われているのか分からなくなる。  トロじゃなければ残して腐らせる、これが今の日本の状態ではないか。

 公 という名のつくものすべては、ソファーに寝そべり トロ 以外は一瞥で済ます猫になり下がる。  ネズミをよく獲り米の番をし、適度の距離をもって人に飼われる。 こうするかどうかは、ひとえに飼う人による。  民主主義というならば、主人は国民である。 


追記:
この猫を犬に代えてもいいが、こんな状態には座敷犬でもしばらくかかるのではと思う。 猫についての偏見ならば許してほしい。 猫はそれだけ人っぽい、という事かと思う。 猫も犬も大好きだ。 




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