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なぜ、石原慎太郎氏は総理大臣にならないのだろう?       [おかしな帝王学]


 自民党の長老、大物も大物。 森元が名字なのではないかと思うほど力のある 森元総理が 「 石原さんとしては、お歳の事もあり。 集大成として、自分の 思い をなんとか実現したいということなんでしょう。 」 と話しているのを聞いた。 この、 思い とは何だろう? 「 総理 」 に成りたいと言う事ではないのか。

 このごろ喧しい政治家は空回りする熱気で、この日本を変えなければと言う。 何をどう変えるのか、とんと伝わって来ない。 言う事と、やる事があるが。 政治家とは、まず言って。 そしてそれを やる 、これがあるべき姿だろう。 ただし、民度の問題で。 大衆が愚かしく、民意など問うていたら国難を生ずると判断された時には。 言わずに やる 、これが許される。 我々はそこまで、愚かしいのだろうか。 するべき事に、 官僚機構の統御 の以外に他があろうか。

 石原氏は、中央官僚による支配体制の打破、という。 まさに我々の一丁目一番地を言ってくれるのだから、大いに応援したいという気にさせてくれる。 しかし、この体たらくの 民主党も 同じ主旨の事を訴えて政権の座に就いたし。 あの 自民党 ですら、同じ事を言う。 失礼ながら、原発や消費増税を容認とは、その決意の程にいささかの疑念を生じざるを得ない。 


追記:
 石原氏はまた、憲法改正を訴えている。 占領側の米国 GHQ より、一方的に与えられた現行憲法を全面的に改めるべきだとしている。 憲法改正と言いながら、実は 九条にだけ的を絞った ありがちな議論でないなら。 我々は、認めたい。 対米追随からの脱却は、この維新の完遂において至るべき到達点であるからだ。 しかし その前に、官僚機構の統御 がある。 これがなくして、国家の大事業は一つも進まない。 憲法全面改正など、危うい限りだ。 
 終戦時、霞が関・官僚機構は米国に対して大きな借りがある。 霞が関がいまのままで、米国に対しものが言えるとお思いか? 霞が関を我々が平定し、その後 米国に言うべきことを言う。 そして、することのない事をせず、すべき事を訴える。 


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