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福知山線事故、無罪判決


 福島第一原発事故で、我々は東京電力。 電力会社という、まことに気味の悪い存在に気づいた。 しかし、福知山線の事故を起こした JR 西日本 も、全く同類だ。 巨大企業、お上マターを司る Organization 格 の立ち居振る舞いということで、両者に類似性を強く感じている。 

 福知山線の事故に関しては、ずいぶん前に申上げたとうり。 ATS が設置されていれば無かった事故だ。 設置するしないを決める部署の長であり、その後 JR 西 社長にのぼりつめた人物が今日、無罪判決を勝ち取ったと聞く。 

 首都圏の私鉄では東京オリンピックの後、遅くとも昭和四十年代には相次いで導入された ATS 。 速度超過や、信号無視によって脱線、転覆、衝突を未然に防ぐ切り札だ。 これがそのあと四十年も。 あの長い直線の果てに現れるかなりの急なカーブである福知山線事故現場には設置されていなかったという。 これは、なぜだろうか。

 判決では、組織の責任と個人の責任を区別していたと伝わる。 では、法の前で人格を持つ、法人格は。 いったいどのようにしてその責任をまっとうするのか。 法は、法人に甘すぎないか。 

 また、出世とは法人格とまともに相対することが出来る役職に就くということであり、個人レベルで見ておかしいことはおかしいと言える権限を有するということだと思う。 人事が人の側にあらなければならないのに、組織に好かれた人がその役職に就く。 組織は、魔物だ。   


参照:

《 企業格の矯正 》
http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2010-04-26-1



アナログとデジタル              [近藤 武]


 時計を見て、アナログとデジタルの違いを思う。 両者、相譲らず。 ゼロと1、あるかないか、Yes or No で 現実を表わそうとするデジタルは、手軽にそこそこのものを提供する。 録音の技術で言えば、あのビデオレコーダーの音声に採用されていた FM 変調によるハイファイ録音というのが、かなりのものであったような記憶もある。 もとより、昨今アナログ盤と称される LP レコードの素晴らしさを思うにつけ、デジタル万能に懐疑的だ。
 
 棒グラフの幅をどれだけ細く出来るかでいくデジタルは、あくまで現実の近似値だろう。 きれいなサイン波を カクカク した棒グラフで、そううまく錯覚させられるものか、と思いきや。 CD の技術などをみれば、あっけないほどの進歩がデジタルに勝利をもたらしている。



追記:
 アナログの音に常に求められたのは、シャリと輪郭のはっきりした低音だった。 FEN をわざと少し周波数ずらしてシャリシャリいわせて楽しんだものだ。 FM が出てきて、正直ぶっとんだ。 この方式は今も変わらないと思う。 アナログの FM 変調。 しかし、デジタルはそこに簡単に応えた。 
 


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