読売というメディア [天成人後]
清武氏と渡辺氏の泥仕合に関連して、スポーツジャーナリストの玉木氏が面白いことを言っていた。 「 読売というメディアは読売交響楽団を持っているので、音楽ジャーナリズムがそこには無くなる。 同じように、ベースボールジャーナリズムも 読売には無い。」 たしかに今回の騒動も読売新聞は正面から取り上げていないらしく、渡辺会長のロングインタビューはライバルの朝日新聞に掲載されている。
ジャーナリズムが無いのなら、音楽も野球も大いに扱っている読売新聞紙面に踊る活字は いったい何だろう? PR 、宣伝、プロパガンダ、だろうか? 渡辺恒雄氏の先達である 正力氏が戦後、原子力推進の先頭に立ち、読売新聞が社を挙げて核平和利用キャンペーンを行った事を ふと思い出す。 日本人は、五十年前とどれだけ変わったのだろうか。 いまだ踊らされ続けていないか?
読売新聞の社説には渡辺会長の意にそぐわない内容が載ることは無い、と公言する。 つまり、事はクラッシク音楽や野球にとどまらない。 肝心の 「 政治 」 を報道するにふさわしいジャーナリズムスピリットを、読売というメディアが有しているかということだ。 はなはだ疑問を感じる。 これが日本一、世界でも一番の発行部数を誇るトップメディアだというのだから、わが国の憂鬱も深い。
参照:
《 敗戦とメディア 》
http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2009-05-08
2011-11-28 14:08