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核物理エネルギー              [文化の日]


 化学と物理というのは、面白い関係だ。 ニュートン力学の物理が到達した、この世の根本原理。 数学と見事な調和を見せる。  それにアボガド定数あたりの化学が、分子というこの世のもうひとつの根本にせまる開花を見せる。 しかし、原子を扱ったのは物理学者だった。 

 産業革命以降、人類は化学エネルギーを享受した。 しかしそこに非常に乱暴なかたちで、物理の最先端から 核エネルギー がもたらされる。 二十世紀初頭、アインシュタインらによって起こった物理のルネサンスと、人類史上稀に見る現象、ヒトラーが。 この世に原爆をもたらした。 

 その平和利用が、原子力発電だという。 廃棄物処理が先送りして続けられていることだけとっても、すでに環境意識の高まっていたはずの我々は異議をとなえるべきだった。 

 核は、あのヒトラーや、また旧日本軍、広島長崎の日常に原爆を落とすという米軍が全て牛耳るような世を終わらせる為に、天より授けられたのだという気がする。 中性子線の利用は日常では控え、人類全体の防衛費として、小惑星衝突のようなものに備えて核爆弾の技術を維持すればいいと思う。 地球上に実験炉の一つか二つもあれば、十二分ではないのか。

参照:
《 人口密集地に 2発 》
http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2008-08-09



原発は残さざるを得ないという、人気作家              [懲戒免職]


 
 「若者の抱える問題や社会的事件を扱い、若い世代を中心に人気を集める」、という前フリで紹介された作家が「人間は色々悪い技術も作ってきたが、それを手放した事はない。」 として、原発は残さざるを得ないと言う。 先述の村上春樹氏との違いに驚く。 

 ユーミンのコバルトアワーなど背にしながら語るこの作家。 この前 メディアを通して拝見したのはNHKにおけるサンデル教授の討論番組だったが、日本の文化人代表のようにして出演した彼は、人間が火を使いこなすようになったのと同じように原子力も使いこなすようになる、といった趣旨の発言をしていたようだ。 もしや震災からそう日の経っていない時のこの発言で、引っ込みがつかなくなったのか。 

 若い世代を中心に人気を集めるというこの作家は、「どうなる」 ばかりを語り、 「どうすべき」 を実のところ一言も語っていない。 二度これを目にすると、さすがに残念などというよりは辟易とした印象を持つ。 


参照: サンデル教授の討論番組について
《 生活水準を下げたくない 
http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2011-04-24

《 2006/12/26 午前 0:28 [苔の生すまで] 》
http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2009-06-23-1



民主党、代表選挙          [おかしな帝王学]


 公に禄をはむもの、これらをどうするか。 まず、公務員改革。 そして原発、エネルギーをどうするか。 ここ以外の事は、聞いたところでしかたがない。 なぜそこが論点にならない? 

 対抗馬があの自民しかない現状に、のほほんとあぐらをかいていると、痛い目にあう。 自民がなくなり、民主もほとんど無くなり割れればいいのだ。 あの古賀茂明氏を使いこなす政権よ、来たれ。



次期代表有力候補の脱原発。           [おかしな帝王学]


 大物の支持を得て、次期総理に最も近いかと思われる民主の大臣が話しているのを、メディアを通じて見た。 「つちかってきた原子力の技術をうち捨ててしまうのは、私の中でこれまで快意がなかった。 しかし多くの仲間(?)と話をしたところ、ゼロを目指すべき方向で議論をしていかなくてはならないのではと思い至った。」 この多くの仲間とは何か? 支持者か?

 いずれ脱原発に向かったのなら評価したいと思うが、順番が逆ではないかと思う。 つまり、すでに地球、人類といったところにも帰属意識を持ちつつ、国の政治に口を出す。 その流れは政治家がつくっていくべきではないのか。 自分を持て。 仲間に言われてとは、お寒い話だ。 政界の大掃除も、するべきだろう。 

 つけ加えるなら、参議院がそのような地球益、人類益を論ずる場になるのなら、参議院から総理が出てもいいと思う。  



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