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 がれきの処理


 循環型・静脈型 経済 を これからの柱と考えれば、いま津波被災地で真っ先に片付けなければならない膨大な がれき の処理は、世界に範たる日本の姿を現すべきではないだろうか。 知恵と工夫で、最大限 資源として利用すべきだと考える。 

 「おした」 とは行政に携わる人々を、認めねぎらう親しみを込めた呼び掛けで、縁の下の力持ちを褒める、言わば尊称である。 下から床のように国を支える。 大切な職業だ。 この おした の方々の働きが重要になってくる。 政治も哲学らしきものでいいから、少しは持って行政の統御に当たったらいかがか。 参議院は何をやっている。  
 
 分別・再利用を出来る限りやって欲しい。 いま我々に与えられているだけのテクノロジーも総動員して、自然に失礼のない振る舞いをするべきだ。 一度 自然界から頂いて来たものは可能な限り人間界で回す。 もったいないという感性は、その基礎になるだろう。   


参考:
《 二院制への提言 》
http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2010-06-14



生活水準を下げたくない              [天成人後]


 やや時の人といった感もある、サンデル教授の番組を見た。 途中からだったが、今回の日本の震災を受けて、緊急に企画されたものに見えた。 ハーバード大学のあるボストン、中国の上海、東京を衛星で結んでの生討論形式で、テーマがタイムリーなので興味深かった。

 なかで、「原子力のリスクを最小限にして依存を続ける」 「生活水準を下げても原子力への依存を減らす」 のどちらに賛成かを問う質問があった。 驚いたのは、ボストンでは全員が前者で、上海、日本でも後者は少数派だった事だ。 要は生活水準の話しと受けた。 それを下げたくないと前者は言うらしい。 経済の問題だ。 我慢は惨めなことだと言うのか。 

 私見では、1970年以降はテクノロジーが与えるものを我々が選ぶ時代になったと考える。 人類とテクノロジーの蜜月期は60年代で幕を閉じた。 新しいもの、手に入れたものを全て最大限にとり込んで最善を得た時代は終わった。 原子力などは、その例の最たるものではないかと思う。 

 今回の事故が無くても、使用済み燃料廃棄物の処理を先送りにしたままで続けられる原子力発電は、自然への礼儀を重んずる考え方からは受け入れ難い。 廃棄物は、ただ閉じ込めて埋めるだけと聞いている。 これがこれからも続く 我々のあるべき文明の姿だろうか。 


参照:
《 我慢 》
http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2010-12-20
 


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