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いじめとの関係は特定できない


 外国でもいじめと言うのはあるのだろうが、日本人の痛い所をついてくるこの陰湿な行為は、日本ならではのどうにも救いのない現象だ。 子供たちをいまだに自殺にまで追い込む状況が放置されている事に、大変心を痛めている。 現代日本社会の縮図ともいえる子供達のいじめは、子を持つ親でなくとも自分達の責任として、広く日本人全体が考える必要がある。

 教員の代表として校長が いじめがあった事をみとめつつ、「自殺との関係は 特定できない」 とする。 自分の将来、後に続く者達の事まで考えての、まことに官僚的振る舞いで。 許せない気持ちになる。 ここに税で禄をはむ者達の、基本的振る舞いの原則が凝縮され現れている。 彼らの人事、出世の原則が。 おかしいのである。 



事業仕分けとプロレス


 事業仕分けで官僚側の理屈を臆面もなく述べる人物の顔に、何か見覚えがある。 政務三役として省庁に入った、民主党の議員ではないか。 民主党 対 民主党のやり合いで、しかも廃止だの縮小だの言われてそれに従わなかったとしても、罰則が無いと言う。 

 何故、法律を作らない? 官僚機構を統御するには、その為の立法しか無いではないか。 それが立法府としての、国民に対する責任、責務というものではないのか。

 パンとサーカス、と言う。 事業仕分けは、サーカスか? そして熊本出身の知人が、前の日に興奮して見たアンドレ戦なのに。 駅前のデパートでオフ日に、敵味方入り混じって和気あいあいとした風景を見た。 という話を、思い起こす。 

 こんなところで事業仕分けというプロレスを見せられて、 まあ 「しょうがない」 に落ち着くほど、我ら日本国民は 無邪気ではない。

 官僚機構の統御。 公務員の矯正、場合によっては粛清は。 いったい どうなっている。



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