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検察のあり方、検討会議。


 検察のあり方について検討する会議のメンバーに、江川紹子女史、元検事の郷原信郎氏、作家の吉永みち子女史などが選ばれているらしい。 TVメディアを通じて見る限りの彼らであれば、大いに期待が持てる。 しかし、期待の持てる人物が政府の要職を与えられて、「しょうがない」 結果に終わった例を知っている。 

 あの化け物のような 官僚機構 の、新撰組。 地検特捜の話を皮切りにしている。 国民は、彼らの発言を注視する必要があるし、彼らはその使命の重さを認識して、これまでと整合性のある振る舞いをして欲しい。

 人聞き悪く恐縮だが、もし万が一にも。 身の回りでおかしな事でもあるようであれば、公にして欲しい。 



検察審査会



 この制度は戦後まもなく、1948年(昭和23年) GHQ によって作られたという。 しかし何故この制度が最近急に注目されるようになったかといえば、昨年(2009年5月)に強制起訴権が与えられる法改正が行われた為だ。 裁判員制度導入に合わせて、「市民感覚を司法へ」 のかけ声の下、あまり目立たない形で行われた。



第一の閉塞感              [文化の日]



 1945年原爆が人の上に落ちた時から厳密には始まっているが、1969年 アメリカがベトナムにおいて後退を始めた時 決定的に 軍事 から 経済で争う時代に突入した。 もう 軍事 では物事、解決できないのである。 しかしいまだに軍事が最終的解決手段である世界を望む、そのような人々の力が強すぎる。 

 これが今、人類社会全体を覆う閉塞感の第一だ。



経済なくして軍備なし              [文化の日]



 1969年人類が月に行った年、世界は経済の時代に突入した。 つまりどれだけ儲けたかで優劣、雌雄が決っせられる。 しかし実はこれは軍事の時代から続いていた。 乱暴に言えば、自民党政権が去っても官僚機構がそのままの姿で悠然と生き長らえてる今の日本の状況のようなもので、経済がなければ軍事も軍備も無かった。 力ずくで経済を奪うか奪わないかの差、があるだけだ。 

 軍事と経済は、実のところ同根であろう。 



かっこいいは、手ごわい。              [文化の日]



 近代科学テクノロジーによる人類社会の大革命はあらゆる物事を変えた。 指数関数的な上昇のおとずれがあったように思う。 軍事も経済も、そのただ中にある。 そして軍事が去ったとしても、経済は手ごわい。 何故か? それは美意識に由来するかと思う。 金があれば解決できることが常に優位に立つ、つまり かっこいいと感じる感性が手ごわいのではないかと思う。

 どこから見ての 手ごわい なのか、それは 地球生命の健やかな生存 という所から見ての、手ごわい なのだ。



なんなら鎖国              [おかしな帝王学]


 経済でやり合うとすれば、貿易と金融になる。 だから TPP なんていうものも、よく斜めから見た方がいい。 あまりに唐突な印象だ。 地産地消というように、食料品に関してはその土地で取れるものを食べるのが、我々日本人古来からの感覚にもしっくりくる。 

 貿易に関して、日本は戦後 二次産品、つまり原材料を輸入し加工して製品として輸出することで工業立国を目指した。 いつの間にか一次産品、食料を大量に輸入する実態となった。 そして日本の農村は荒れ果てた。 

 木材しかり。 日本の田舎。 森林・農村・里山こそが、我ら日本人の、かけがえのない故郷だ。 それを守れる強い日本とは、なんならまた鎖国しても大丈夫だという国に成れる事なのではないかと思う。



 世界経済戦争              [文化の日]

  

 経済戦争、そんな言葉はやはり 1970 年代から聞かれるようになったのではないか。 その頃 日本では、各分野で世界一の量産品を普通の値段で出すようになった。 電源タイマーしかり、シャープペンシルしかり。 いつまで経っても壊れなくて、庶民が買える世界最高品質の物にあふれていた。 日本人はそれを売り、豊かになった。 

 コマーシャリズムというのは、新しいモデルで買い替えを求めた。 日本の粗大ゴミは、まだまだ使える家電であふれた。 メーカーはそれを見ていた。 せいぜい 10 年、物によっては 2,3 年で駄目になるものばかりを出すようになった彼ら。 スイッチの一つから、部品選びでそのような設計がなされるようになった。 これは今も続いているだろう。 実際、製品の寿命が来る前に使わなくなった MD のような物も多い。 

 とにかく買わされる、売れなくては戦いに勝てない、それが凄い回転になって、雪だるまのように世界経済というのが、中国やインドといった人口を巻き込んで次の段階に行こうか。 というのが、現在の 世界経済戦争 である。

 これは、いわゆる エコ と。 どのような整合性を持つのか。



戦場報道              [文化の日]



 平和の銃、カメラによる画像が 戦場報道カメラマン の取材によって視覚的に伝えられたのが、ベトナム戦争だった。 当時日本でも、生々しい戦場の様子をニュースでかいま見た。 そのころ伝えられた報道写真を見ると、あの 1969 年を核とした 1965 年から 1975 年の間にそれらが世界、国際舞台に向けて発信された事は、まことに興味深い。 西洋文明による一つの頂点が、人類全体を、いやが上にも目覚めさせた時代だった。 これが、勝てない戦争 の時代をもたらした。 平和の銃が勝ち取ったのだと、思う。

 ところが湾岸からその後は、戦場に入るのが難しくなりメディアには政府統制下におかれた情報しか出て来なくなったと聞く。 旧・ソビエトが絡んだ侵攻・紛争などであれば、もとよりそんなものは微塵もないだろう。 しかし皆が携帯を持ち、進んだ社会と思われる今になって、あのアメリカでは完全に逆行するように、リアルな戦場を伝えなくなっている。 

 果たして人類は 1969 年から進んでいるのか? という事だ。





参照:
平和の銃 》 
http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2010-03-06

勝てない戦争 》 
http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2008-08-09-1

軽井沢で自転車に乗っていた John Lennon 》 
http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2010-05-10

アポロ計画というモニュメント 》 
http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2010-04-07




事業仕分けとプロレス


 事業仕分けで官僚側の理屈を臆面もなく述べる人物の顔に、何か見覚えがある。 政務三役として省庁に入った、民主党の議員ではないか。 民主党 対 民主党のやり合いで、しかも廃止だの縮小だの言われてそれに従わなかったとしても、罰則が無いと言う。 

 何故、法律を作らない? 官僚機構を統御するには、その為の立法しか無いではないか。 それが立法府としての、国民に対する責任、責務というものではないのか。

 パンとサーカス、と言う。 事業仕分けは、サーカスか? そして熊本出身の知人が、前の日に興奮して見たアンドレ戦なのに。 駅前のデパートでオフ日に、敵味方入り混じって和気あいあいとした風景を見た。 という話を、思い起こす。 

 こんなところで事業仕分けというプロレスを見せられて、 まあ 「しょうがない」 に落ち着くほど、我ら日本国民は 無邪気ではない。

 官僚機構の統御。 公務員の矯正、場合によっては粛清は。 いったい どうなっている。



いじめとの関係は特定できない


 外国でもいじめと言うのはあるのだろうが、日本人の痛い所をついてくるこの陰湿な行為は、日本ならではのどうにも救いのない現象だ。 子供たちをいまだに自殺にまで追い込む状況が放置されている事に、大変心を痛めている。 現代日本社会の縮図ともいえる子供達のいじめは、子を持つ親でなくとも自分達の責任として、広く日本人全体が考える必要がある。

 教員の代表として校長が いじめがあった事をみとめつつ、「自殺との関係は 特定できない」 とする。 自分の将来、後に続く者達の事まで考えての、まことに官僚的振る舞いで。 許せない気持ちになる。 ここに税で禄をはむ者達の、基本的振る舞いの原則が凝縮され現れている。 彼らの人事、出世の原則が。 おかしいのである。 



 紙幣                [苔の生すまで]



 お金、というのは。 紙幣が出てきて、おかしくなったのではないかと思う。  

貨幣の時代は、それに見合う貴金属が在った。 



中国と北朝鮮


 北朝鮮という国は、中国がなければ存在できない。 怪物が怪物を、飼っている。 そう見えてしかたがない。 

 社会正義、公正な社会を求めてのマルクス主義だったが、それは共産党一党独裁の特権階級を生み出した。 ソビエトは崩壊したが、中国はそれを保ったまま 黒い猫でも白い猫でも、ねずみをとる猫は。 いい猫だ。 として、なんと共産党政権独裁でありながら市場経済を取り入れる。 経済が一番大事なことになった世界が、G2 とも言われるまでになったこの怪物の出現を許した。 その怪物が、怪物を飼っている。 三世代の世襲も許して。



脅威としての北朝鮮          [才蔵]


 北朝鮮という国は、自立して生きていられない。 誰かが餌をやっているから、生きていられる。 中国がほとんど毎日、餌をやっているように見える。 韓国や日本、ソビエト転じてロシア。 そしてアメリカなんかも、たまに餌をやっている。 国益のみで動いているから、こういう事になる。 みな責任があると思う。 

 この醜怪な北朝鮮という 体制 を飼っているのは、我々が許してしまった 中国 という体制だ。 そしてそれが都合がよかった国や人々は、他にも居そうだ。 脅威がなくなって喜ぶ人ばかりでは、ないのだと思う。

 経済が貧しいからといって、それを馬鹿にするつもりは毛頭ない。 彼らの体制が、あまりにおかしなものだから言う。 
 これが、哲学者や思想家で。 その果実を分け隔てなく人に分け与えているのであれば、おひねり、おさい銭、布施、寄進という言い方になる。 しかしあの北朝鮮のやること、ありようなど見ていると。 動物園で飼うだの、餌だのという言い方にもなる。   


参照:
《 北朝鮮 》 
http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2009-04-09

中国と北朝鮮 》 
http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2010-11-23



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