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保守とは何か?


 自民のみなさんはよく 保守 保守 とおっしゃる。 「我々は保守であるから」 と、何か特別の事のように言うが、そもそも保守とは何を意味するのか?
 この国を共産化させない事と言うなら、すでにこの日本列島 一人残らず保守ではないのか。

 今のまんまがいい、というのが保守ならば それは一割 居るか居ないか。 とても政権を維持できるような支持が得られる訳がない。 一体 「保守」 という言葉をもって、何を訴えたいのか?  



タグ:自民党 保守

世襲後継候補の仕事          [近過去]


 引退して息子を後継候補として出馬させる自民派閥の領袖、津島氏の発言。

 『 今の赤字財政が持っているというのは、やっぱりそれをまかなう為のお金を国に貸してくれる人が居る。 資金的な余裕と言うと語弊が有りますけどね、「あれ」 がある。 であればそれを借金でなくてちゃんと出して頂く、というやり方があり得る。』

 つまりは 1400兆 とも言われる国民の貯蓄でもって、国家財政の赤字を相殺すればいいだろうという事と聞き受けた。 この やり方 を官僚と練り上げ、その為の法案を通すのが彼らの 「仕事」 である。

 津島氏は、自分の政治信条を一番理解している人に後を継いでもらいたい、と言って はた目には不透明な選考を経て息子を立てた。 やや思惑が狂い、今のところ自民党公認が得られないようだが、青森県連は支持するという事。 当選すれば何食わぬ顔をして自民党議員 となるのだろう。 そしてこの 「仕事」 を継ぐのである、政権交代が成されなければ。



高度成長が始まってから              [才蔵]


 我々の知るかつての日本。 高度成長が始まってからの日本は、なかなか居心地のいい社会だったのだと思う。 目標が有って、がむしゃらにやれる。 「いままでどうだったか」、「みんなどうしてるか」 でなんとかなった。 

 安田講堂が落ちて、学生運動が収束してからは本当に政治や社会のあり方について国民は何も言わなくなった。 もっともこの学生運動も共産主義などというものにたぶらかされたのだから、かなり危うい。 赤軍「よど号」ハイジャック犯が北朝鮮に向かった事で、その危うさがよく分かる。 

こんな説がある。 

 ・我々日本国民、大衆は。共産主義、ソ連はじめ東側世界から国を守る為に、米の意向に沿い、自民党政権を長年受け入れた。 だからソ連崩壊後、国民としては必ずしも自民政権である必要は無くなった。 
 ・実際 、ソ連崩壊直後の1993年には何ヶ月かながら非自民の細川政権が成立している。 しかしすぐに、あろうことか社会党と連立しその党首・村山を総理に立てるという奇策で自民党は政権に返り咲く。
 ・80年代、バブルとお笑い軽薄短小で骨抜きにされていた日本国民は、その後 結局いまの今まで自民党という政権を受け入れ続けている。 
 ・小泉政権の登場で、その衆愚政治の手法は極みに達した。 しかしそれが国民にとっては幸いなことに彼らを思い上がらせる事になり、いまや とんと浮世離れしてしまった自民党の姿を天下にさらしている。 



力道山と学生運動              [おかしな帝王学]


 かつての一時期は、その勝敗がNHKのニュースでも扱われていたという国民的人気だったプロレス力道山。 それが八百長の話が出てくると、それまでの気恥ずかしさもあるのだろうか、国民はある意味 プロレスを社会的に抹殺した。

 学生運動しかり。 社会正義を求めての行動だったと信じたいが、余りに強大な体制の前にキャインと尻尾を巻き、もう若くは無いと髪を切り そこそこ一流企業にも就職したと聞く。 その後はまるで牧民された国民のようだ。 この人達はいまどうしているのか? 

 そして小泉フィーバーで踊った国民はいま同じような感覚に囚われている。 息子をよろしくと言って政界を去る小泉元総理。 誰の為かよく分からない改革。 慌ててこれまでしなかったことをやりますと言い出す自民党。

 居心地がよく、なんとなくでうまく行っていた時代。 この時代は終わった。 先頭を走り俺について来いとグイグイ引っ張っていたあの米が方向を見失っている。 日本国民はいまこそ各々の考えを持ち、二流の先進国から脱却すべきだ。



道州制              [懲戒免職]


 地方分権という事は、霞ヶ関の解体と同義であるはずだ。 少なくとも我々の側からすればそうなのであり、中央官庁の権限と財源を地方に移すという意味で 地方分権 と言っている。 しかしここに来て 「道州制」 という言葉が踊るようになったのを見て、警戒すべき事と感じている。 橋下大阪知事あたりがしきりに訴える道州制をペロンと呑み込み、唐突にマニフェスト項目の中で大きく打ち出してきたのが あの自民党。そして公明党なのだから。

 族議員というのが居るが、自公政権というのは言ってみれば丸ごとそのまんま 「官僚機構の族議員」 である。 麻生氏はじめ政権の中枢はみな熱心なウルマーで、事務次官会議の機嫌を損ねることは決して無い。 そこがとってつけた様に 「道州制」 だ。 すり替え ではないのか? 似ているが同じではない言葉を持ち出してするすると逃げ回る。 これまでさんざん一杯食わされて来たやり口だ。

 そもそも国民的議論もなにも始まっていない道州制が、衆院任期の4年で目鼻がつくとはとても思えない。 我々の望むのは、結果 道州制になろうがなるまいが、中央官庁から人と権限と予算を地方に移すという事で、移った分は確実に霞ヶ関がスリムになるという事だ。 
 いまの自公与党と官僚に道州制などもし任せたら、霞ヶ関に "道州局" とかポストを作ったりして、人も予算ももっと必要と言いかねない。 道州庁舎や議事堂が必要だとして箱物に張り切り、「我々は道州制を成し遂げた」 と威張り、霞ヶ関のスリム化などとは言った憶えは無いととぼけて逃げそうだ。
 


明治憲法の亡霊              [天成人後]


 「それぞれの仕事に埋没し、国民一人一人の命が見えなくなって行った将校たち。 その姿勢は海軍あって国家なしと言わざるを得ません。」 NHKの旧日本海軍についての放送における〆のナレーションだ。 
 こうも続ける。 「縦割りのセクショナリズム。 問題を隠蔽する体質。 ムードに流され意見を言えない空気。 責任の曖昧さ。」 そして 「今の社会が抱える問題そのものだ」 と締めくくる。
 
 「海軍」 が 「省庁」 に置き換われば、まさに我々が現在抱える問題そのものだ。 霞ヶ関の問題、省庁あって国家なし。 NHKにどこまでその意識があったか定かではないが、《 官僚機構に終戦を 》 http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2009-03-15 で述べさせてもらった我が意を強くする。

 先の大戦は言ってみれば軍部という官僚機構の暴走だった。 敗戦後 GHQ は官僚機構から軍部を切り落とし、その他はそのまま残した。 軍部以外の官僚組織もそれぞれが最大限戦争に加担したと思われるが、占領統治にあたっては温存し使いこなすのが得策とされたようだ。 

 つまり官僚機構は明治維新によって生まれ、明治憲法の下で軍部を牽引役として力をつけ、その限界を露呈する形で国を滅ぼしかけた。 しかし戦後もそのまま占領側のツールとして存続し、戦後10年目から始まる自民党長期政権の下で、またもや暴走を始め今に至る。 国を内側から滅ぼそうとしている。
 思うに組織格( Organization 格 )としての官僚機構は、いまだに明治憲法で示された国民と行政機構とのあり方から抜け出ていないのではないか。 主権在民という現行憲法の精神を叩き込む、圧倒的な民意を受けた新政権誕生が望まれる。




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次期政権のテーマ              [おかしな帝王学]


 政権公約 というものを余りに蔑(ないがし)ろにして来た。 
 空手形 といった意味にまでこの言葉は貶められた。 
 だから マニフェスト というものが出てきた。 

 自分たちとその仲間の都合に従うのが筋であるとばかりに振舞ってはばからない連中に対しては、選挙の度に結果どこまで出来たか?をしっかりと検証しなければ、またこの言葉も貶められ同じ事になる。 自公政権のこの4年間は、どうだっただろうか。

 このマニフェストというやつは、言い逃れしにくくする為だろう、具体的な内容でとにかく細かい。 マニフェストに限らないが、自民党については「やります」ではなく、証明できる形で「やりました」とならなければ、大変失礼ながら聞いても無駄に思える。
 
 問題は民主党のマニフェストである。 こちらも印象での話しなので恐縮だが、とても細かい。 これらの上に、テーマとして 「官僚機構の統御」 を大きく掲げて欲しい。 4年間で統御が成し得るか、これは容易な事ではないと思われる、が とにかく鎧(よろい)のように覆いつくして守る現与党を引き剥がし、塞ぎようのないでかい風穴を官僚機構のどてっぱらに開ける事。 その為の法律をどんどん通す事。  この特命政権であると認識してもらいたい。


追記:  2012.11.15
非常に残念な事ながら、民主党政権は霞ヶ関・官僚機構、とりわけ財務省に平定された。 あろうことか自公との三党合意で、マニフェストと真逆の 消費増税法案 だけを通した。 民・自・公による、官僚機構の思うままの政治が続いている。



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もうひとつのテーマ              [おかしな帝王学]


 今回の選挙のテーマは、「官僚機構の統御」。 そしてもう一つ、創価学会(公明党)を政権から排除する事である。 政権交代後、国民的議論で公明党のありようを質(ただ)し、まっとうな議論のもと、政権のみならず政治の場そのものから去って頂く。 創価学会という宗教団体としても問題の多い組織が、その政治部のような形で公明党などという政党を持つことを、国民は許してはならない。 なし崩しでこの様な事態を受け入れていては示しが付かず、かつての オウム、今回の 幸福実現党(幸福の科学) のように、悪しきフォロワーが政治に打って出ようとする事をとどめる事が出来ない。

 小選挙区で宗教団体政党が当選するなどという事は非常に気味の悪い事である。 その選挙区がそこの信者だらけでなければ本来そのような事は起こらないはずだ。 これまでそのような議員を国会に送り込んできた選挙区の皆さんは、しっかりと目を覚まし、これからでも投票していただきたい。 彼らが比例区以外で当選するというのは、おかしい。




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