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敗戦とメディア


 戦争中、当時のマスメディアである新聞は大本営のプロパガンダ機関のようになっていた。これは消えてしまったかつて日本にあった新聞社の話しではなく、今もある大手の新聞社の話しである。戦意高揚の論調でないと不買運動のターゲットになるという事もあったらしく聞くが、ジャーナリズムの心を売り渡したのだから、よく平気で同じ看板を掲げ戦後を生き抜いてきたものだと思う。 ナチスのドイツでももちろん戦争中は新聞がナチスのプロパガンダに利用された、しかし戦後 すべて解体された。
 今もそのまま残る戦争翼賛報道を行った日本の大新聞、この点について総括を行ったと聞いたことは無い。 

 終戦時、天皇制が残った。これはよく聞く話。 もうひとつ、官僚機構は軍部を切り離し、そのまんま残った。 これが今の霞ヶ関の問題につながる。
 そしてさらにもうひとつ。 マスコミ(新聞)もそのまま存続した。戦争責任を問う代わりに飼い慣らす、占領側はこれが得策と見たようだ。 メディアは1951(昭和26)年に民放ラジオの開始、そして1953(昭和28)年からは民放テレビ開始となる。 これらは系列という形で、新聞の時代からのつながりがある。
 
 つまり戦時中は臆面なく戦争翼賛報道をした大新聞が、敗戦後は占領側の思惑でそのまま残され、関連会社として今日テレビメディアの運営に関わっている。 


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