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 幼年期の終わり              [文化の日]



 環境の問題は、マクロに過ぎて途方も無い話に思うかもしれないが、まず一人一人の心の向きがしっかりすることであり、実はこの話はミクロの話、一人一人の心の話なのだ。

 テクノロジーは経済に入り込み、自然界からあらゆる材料を調達・加工し、不遜にもそのまま自然界に引き取ってもらおうとしている。 アーサー・C・クラーク 言うところの ”幼年期” 丸出しである。もういい図体しているのに、だ。

 引き取ってもらうには、自然界 つまり地球環境に負担にならないところまでにして 出すのが礼儀だろう。 どれだけ時間がかかるかわからないが、責任ある文明として目指し続けるべきだ。

 ”環境” の話は昨今 色んな人が色んな事を言う。 人類に与えられた 最も複雑な連立方程式 を解こうと言うのだから、初めの方向性を定めるのにも まだまだ大混乱があるだろう。  
 誰かの言うことを鵜呑みにするのはよくないし、何かに固執するのもよくない。 考えが変わっても恥ずかしがることはない。

一人一人が出来る範囲の事を、すぐやろう。
とりあえず もったいない ことをしないようにすれば、間違いはない。
  
  

脅威を見る目                     [文化の日]



 店に並んでいるスプレーというスプレーが全て ”フロン” だった時から考えれば、人々の意識という点で 本当にいい時代になった。 しかし話は緒に就く準備が出来たにすぎない。

 産業革命 以降ということになるが、特に自動車が出てきた100年少し前から、人間を取り巻く環境は劇的に変化してきた。 それが遂に、現在の状況にまで至っている。

 道具が機械になり、資本主義が出て、法人が大きくなり。 ヨーロッパから起こった波は工業先進国をつくり出し、その序列は今も続いている。
 たったこれだけの先進国でもう、認めざるを得ないような異常が出て来ている。 先進国はトップを走る者として責任がある。

 「必要なものは全て与えられている」 という言葉を聞いた。 文明が何をやっているのか感知し得る 五感 も、科学テクノロジーは人類に与えている。 だからこそ我々は、訳も分からずこの事態に突入することは無かった。
 機械文明は、人間の体の機能を外側に創り出すとも捉えられる。手足や排泄器官だけでなく、目も耳も存分に創り出していくべきだ。




かけがえのない日本                    [苔の生すまで]



 愛国心がありますか?なんて訊かれれば考えてしまうかもしれないが、日本をかけがえのない国と思いますか?と訊かれれば、たいていの人は Yes ではなかろうか。 かけがえのない日本、そして かけがえのない地球なのである。

 
かけがえのない日本は、かけがえのない地球の、かけがえのない国になる。

とびきりの、 一流の先進国 になる。





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