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人類と放射能 – 専門性の不明          [天成人後]


 原発推進の連中がよく言うように、自然界にはそもそも放射能、放射線の被曝が僅かながらある。 宇宙から飛来してるものや土壌に含まれるものなど、一定量の放射線をあびている。 これを過大評価して原子力の危険性を印象として最小化させようという連中は、外道である。 金と面子、これ以外で彼らを動かしているものがあるとすれば、専門性というものが持つ 不明 ということに他ならない。

 専門性の不明を、経済がいいように操り。 現在がある。 原爆があまりに非道であるというならば、平和利用で 原子力 。 人類は原爆を手に入れて、もう人には敵が居なくなった。 あとは自然だと、人類の五十年代、六十年代はある。 1969 年に一度 人類は気付くが、それを無かった事として七十年代、八十年代。 そして東側が消えても、九十年代。 あの、二十一世紀の精神異常者 ( 21st Century Schizoid Man) が出現してもう、十三年目になる。  経済が、我々の気を狂わす。


追記:
キューリー夫人やアインシュタインによって、放射能の利用が示された。 アインシュタインは副産物としての核の利用を快く思わなかっただろうが、それは原爆という形で二十世紀も前半のうちに成し遂げられた。 この異例の速さは、ナチス・ヒトラーを外しては語れない。 廃棄物を自然に返せないという属性からして、原子力はすでにポスト近代の哲学に認められない。 これは、経済に牛耳られた、専門性の不明(ふみょう)を正すに他ならない。 


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