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 教育委員会と自民党              [天成人後]


 俵 総一郎 ではなく、田原 総一郎氏が入院しているらしい。 食あたりと言う事だが、体調の完全なる回復をお祈りしたい。 入院のいきさつで、氏のブログらしきものを見た。 そこで教育委員会の話があった。 無断で抜粋する。

 ・・・「ところが、日本人は教育というものに熱心ではなかった。というより、教育は「お上」がしてくれるもので、教育行政に自分たちが参加するという意識がなかったのだろう。だから教育委員に誰も立候補しないし、当然、投票率も低かった。一方、共産党や社会党などの革新系の人たちは教育に熱心だった。というより、「国家」がすることにとにかく熱心に反対する。だから、どうしても彼らが当選することになるのだが、それはまずいということで、教育委員は任命制度になったのだ。つまり名誉職である。」・・・

 先述したように。 この、教育委員が公選制から任命制に変わったのが 昭和三十一年(1956) の事で。 前年(昭和三十年)暮れに、社会党の右派左派合同をうけて、おっとり刀で保守合同。 当時の自由党と民主党が合併し結党された自民党の初仕事が、これであったと聞く。

 戦勝国アメリカが資本主義陣営の覇者として、その日本統治において、ものの十年も経たずして訪れた共産主義の隆盛を想定できず、修正すべき点を残した。 憲法改正がその本丸で、手始めが教育委員会だったのではないか。 北の朝鮮総連と並べては失礼だろうが、どうも日本でない国の出先機関のような臭いが、自民党にはつきまとう。 霞が関にも同じ臭いがつきまとうのだから、日本人のブルースは深い。


追記:
よど号ハイジャック犯は、地上の楽園として北朝鮮を目ざした。 こんな者たちの巣窟としての教育委員会は、無論のぞまない。 自民党結党のころの日本人は、民度が教育委員公選という制度にまったく追いついていないといった状態だったのだろう。 もっとも、アベノミクスとやらに踊るいまの日本人が、その頃と比べてどれだけ民度を得たのかといえば。  はなはだあやうい。 

参照:
≪ 教育委員会 ≫
http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2008-07-16-1


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