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たかが駒に 思い入れを持つな          [おかしな帝王学]


 語る、語る。 カタルシス。
 語るをやめれば、我 死すなり。

 民主主義の原理運動とは、大きな盤面に向かって政治家という駒で将棋を指している我々、のようなものだと申し上げた。 一つの駒に思い入れをする必要など何もない。 しかし現在の、少なくとも日本における民主主義とは、たかが駒を頭の上にいだき。 角行をいだいたものは、X にこだわり。 飛車をいだいたものは、+ にこだわる。 

 民主主義は、選挙だ。

 利害、つまりは経済、金の話。 仕事、雇用と言い換えてもいい話で、肝心かなめの選挙が決まっている。 こんな業界がというようなところも、組織系投票依頼で国会議員を一人や二人送り出しているという。 卑しいことだと思う。 このバイアスがとれればいい。 目先の自分にとっての利益で投票する人間が、この日本でどれだけ減るか。 最先端の先進国はこうあるべきと、アメリカにもヨーロッパにも中国にも、ぶれずに語り続けられる日本でありたい。 


参照:
《 問われるは、民度 》
http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2011-06-13


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