SSブログ

原子力発電のコスト              [天成人後]


 いまだに原子力の発電コストがどうのこうの言っているのは、とても不思議な気がしている。 しかもおかみの原子力委員会が、今回のような事故コストを勘案しても 石炭火力や天然ガス火力ほどのものだという。 いったい、どこに?そんな事を言わせられている。 

 ものを燃やして便宜を得る事は、十万年単位の昔から、人類は手に入れている。 化学エネルギー、と言っていいかと思う。 そして産業革命が、化学エネルギーをいわば物理がサポートする形で、二次的な内燃機関をもたらす。 

 しかし物理は二十世紀、アインシュタインの時代になり、核のエネルギーを発見する。 これをほんの三十八年で破滅的なエネルギーを放出する、原爆という形で具現化させたのは、ナチスヒトラーに代表される、二十世紀の人類のおぞましい野望によるのだと思う。 アメリカは、それを人類初めて手に入れて。 その意味、責任の重さをどれほど理解しているのか? 戦争の意味を無くした、核兵器ではなかったのか。 そしてその平和利用が、原子力だという。 

 まったく次元の違う由来を持つエネルギーを発電コストで比べようというのが、乱暴に思われる。 もちろん、今回の福島原発事故の事後処理コストだけを加えても、とてもペイしない発電方法だったといえると思うが。 我々の、自然を敬い、自然との調和を重んじる感覚では。 そこらへんにほっぽっても構わない、いわば土や水になるまで処理して自然に帰すというのが、これからのあるべき文明の姿であり。 そこを目指すなら。 密閉する、閉じ込める、深く埋める。 あげく、気の遠くなる半減期を待たなければならないような現在の核廃棄物の最終処理は、決して許されるものではない。 



この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。